生活の仏教語
くしゃみ
古代インドでは、くしゃみは命にかかわると信じられていました。そのため人がくしゃみをすると、周囲の人が長生きをねがって「お許し下さい」を意味する古梵語「クシャマータ」と祈る習慣がありました。それが仏教で「休息万命」(クソクマンメイ)と音訳され、日本に伝わり、「くしゃみ」という言葉で定着したと言われています。
玄関
「玄関」という言葉は禅宗に由来します。「玄」は奥深く悟りの境地を意味し、「関」はその入口を示します。もともと修行僧が師のもとへ参じる「道場の入り口」を指し、悟りへの門戸という象徴的な言葉でした。後に一般の建築用語として家の出入り口を「玄関」と呼ぶようになります。つまり「玄関」は、単なる家の出入り口ではなく、俗から聖に繋がる「結界」を指した言葉なのです。
挨拶
「挨拶」は仏教語で、本来は禅僧が修行中に師と問答を交わすことを意味しました。「挨」は心を押し出す、「拶」は相手に迫る、という意味。つまり「挨拶」とは、心を開いて相手の心に近づくことを指します。インドでは「ナマステ」といって挨拶をしますが、その意味は「あなたを敬います」という言葉から来ています。私達が日常での「おはようございます」「こんにちは」も、単なる言葉ではなく、相手と心を通わせる行為なのだと意識して行うことが大切です。
有頂天
「有頂天(うちょうてん)」とは、仏教で迷いの世界を意味する「欲界・色界・無色界」という三界のうち、最も高い天「有頂天(阿迦膩吒天)」を指します。仏教的には“まだ迷いの世界の中の頂点”でしかないのに、この「天の頂点=最高の境地」というイメージが転じて、現代語では“我を忘れて浮かれている状態”を指す意味として使われるようになったのです。
おみくじ
「おみくじ」はもともと、平安時代の「抽籤(ちゅうせん)」という仏教儀礼でした。天台宗の比叡山延暦寺で、僧侶が経典の言葉により仏意を伺う修行として行っていました。経典の中から一句を引き、その文に示された教えをもって判断するのです。後に神社でも取り入れられ、今日のような吉凶判断の形になりました。つまり「おみくじ」は未来を占う道具ではなく、「自分がどのように生きるべきか」を仏の智慧に問うものなのです。
懐石
「懐石(かいせき)」の語源は禅宗にあります。修行僧が空腹をしのぐため、温めた石を懐に抱いたことから「懐中の石=懐石」と呼ばれました。後に、僧侶が心を整えるための軽い食事を意味するようになり、茶道の「懐石料理」として発展しました。本来の懐石は、質素でありながら飾らず、心を尽くして客をもてなす精神を重んじます。
言語道断
「言語道断(ごんごどうだん)」とは、仏教語で「言葉では言い表せず、思いをも越える真理」という意味です。『維摩経』などに見られ、悟りの境地は言葉や理屈で捉えられるものではないと説かれています。現代では「とんでもない」「呆れた」という否定的な意味で使われますが、本来は「絶対的真理の深遠さ」を示す語です。これにより禅宗系では言葉を用いない座禅修行を重んじているのです。
牡丹
牡丹は仏教において極楽浄土を象徴する花とされ、「花王(かおう)」とも呼ばれます。中国では唐の時代から高貴・慈悲・繁栄の象徴とされ、寺院の彫刻や仏画にも多く描かれました。日本でも平安期に伝わり、寺院の庭や仏前に供えられました。牡丹が咲く姿は堂々として華やかでありながら、くずれ散るはかなさも併せ持ち、仏教の諸行無常を思い起こさせます。
元の木阿弥
「元の木阿弥」とは、せっかく良くなったものが、再びもとの悪い状態に戻ることをいいます。その語源は戦国時代、大和の筒井順慶の家臣・木阿弥という僧に由来します。順慶が病死した際、敵に死を知られぬよう木阿弥が身代わりとなって姿を偽り、葬儀後に元の僧に戻った――その故事から「元の木阿弥」と言われるようになりました。
仏教的に見れば、これは“形を取り繕っても心が変わらねば本質は元に戻る”という戒めです。修行も一時の精進ではなく、常に初心を忘れぬことが肝要であると教えます。
呂律が回らない
「呂律(りょりつ/ろれつ)」とは仏教用語の「律呂(りつりょ)」が語源で、音楽の調律を意味しました。僧侶が読経する際、声の抑揚や音の調和を大切にしたことから、「律呂が乱れる」とは調子が崩れることを指しました。これが転じて「言葉が滑らかに出ない」状態を「呂律が回らない」と言うようになったのです。
一期一会
「一期一会(いちごいちえ)」は、もともと茶道を通じて広まった禅的な言葉です。「一期」とは一生のことで、「一会」は一度の出会い。つまり「この一度の出会いは、二度と繰り返されない」という意味です。仏教では「無常」を説き、同じ瞬間はないと教えていますので、人との出逢いを大切する言葉なのです。
カルピス
カルピスは、実は仏教語に由来します。創業者・三島海雲はモンゴルで飲んだ乳酸飲料から着想を得ました。「カル」は「カルシウム」から、「ピス」はサンスクリット語の「サルピス(酥=精製された乳)」に由来して命名された名前です。因みにカルピスの元となった乳酸菌飲料は大正五年に醍醐味という商品名で販売されていたことがあります。
瓦
「瓦(かわら)」は仏教建築と深く関係しています。日本に瓦が伝わったのは、仏教伝来とほぼ同時の6世紀。それまでの日本建築は茅葺きや板葺きでしたが、寺院建立の際、仏教経典を守るために、火事に強い屋根にするため「瓦」で覆いました。また、瓦のことを古い言葉で「甍(いらか)」と言います。「甍」はインドの古語[iṭṭhaka(イッタカ)]に由来しています。
スジャータ
スジャータは、釈尊が悟りを開く直前、苦行で衰えた身体に乳粥を供えた村娘の名前です。彼女の供養により、釈尊は「極端な苦行でも快楽でもなく、中道こそ悟りへの道」があると悟りました。創業者である故・日比孝𠮷はコーヒーフレッシュ「ミニテトラ」の開発を勧められました。しかし当時は粉末タイプのコーヒーフレッシュが全盛期であり、導入には乗り気でなかったにも関わらず、「小型容器に入ったコーヒーフレッシュがあれば、喫茶店の味をご家庭で味わっていただける」と考え、昭和51(1976)年開発を決断しました。発売日は孝𠮷の母・きくのの命日に合わせ「3月23日」としたそうです。
庭
「庭」という言葉も仏教と深く結びついています。もともと「にわ」の語源は、古語の 「ニ(=神聖)+ハ(=場所)」 に由来するとされます。たとえば「天の岩戸」神話では、天照大神を迎えるために神々が舞を行った場所を天安河原の「庭」としています。仏教が伝わると、悟りの境地を表現する「枯山水」などに発展しました。
大丈夫
「大丈夫(だいじょうぶ)」は、「大乗仏教」の「大丈夫(だいじょうふ)」から来ています。「丈夫」とは「大いなる悟りを得た人」を意味しました。日本にこの語が伝わると、「強くて立派な人」「男らしい人」という意味として広がり、さらに江戸時代には、日常語として「安心して任せられる」「間違いがない」「問題ない」というニュアンスで使われるようになります。
迷惑
「迷惑(めいわく)」という言葉は、仏教語の「迷」と「惑」から成ります。どちらも「真理に迷い、心が惑う」ことを意味します。つまり本来の「迷惑」とは、「自分の心が正しい道を見失っている状態」を意味しました。ところが時代とともに意味が変わり、「他人の心を乱す=迷惑をかける」と転じたのです。