小川泰堂居士(おがわたいどうこじ) 肖像写真 明治五年(1872)頃
昨年四月、『高祖遺文録』の校訂や『日蓮大士真実伝』の著述で知られる小川泰堂居士(一八一四~七八)の墓所が藤沢より当山へ移転整備され、泰堂居士の命日にあたる十二月二十五日に墓所開眼法要が勤修されました。これを記念して、泰堂居士曾孫の小川乃倫子(のりこ)様より『高祖遺文録』自筆稿本(こうほん)を始めとする貴重な関連資料の一部が当山へ奉納となりました。今回はその中から、泰堂居士の肖像写真を紹介いたします。
本写真は、明治五年(一八七二)頃に横浜馬車道の内田九一(くいち)のスタジオで撮影されたものです。泰堂居士は時に五十九才。和やかな笑顔で椅子に腰掛け、右手には数珠を握っています。円卓の上に一冊の本が置かれているのは、泰堂居士ならではの演出でしょうか。この時に八万(はま)夫人も撮され、二人の写真は木製の厨子(ずし)に仲良く納められています。
撮影者の内田九一は日本における写真黎明期を代表する写真師の一人で、明治天皇を始めその他各界の名士を撮影したことで知られています。写真技術について簡単に触れますと、日本に伝わった江戸時代の終わり頃にはダゲレオタイプと呼ばれる銀板写真で、やがてガラス板に乳剤を塗り、湿った状態で感光させるコロジオン湿板写真、乾板写真、フィルムと進化していきます。本写真は湿板の技術で撮影されています。
本写真は泰堂居士の姿を現在に伝えるとともに、日本写真史上においても貴重なものと言えます。なお、掲載した肖像写真は画像処理によってシミ等を除去したもので、原資料の状態とは異なります。
(本間岳人)