オナイダ号紀念碑 明治二十二年(1889)
大堂正面の右手に本碑は所在しています。仏教寺院には珍しい英文碑銘が刻まれていること、かつその銘文が昭和二十年の空襲の被熱により著しく破損していて判読しづらいこともあって、参詣の皆さんの関心も高いようです。平成二十年に同所周辺にて実施した小川泰堂居士墓所の整備に併せて行った石造物の調査成果の中から本碑を紹介します。
本碑は花崗岩で造られた高さ一メートル強を測る方形の石碑で、正面に「IN MEMORY」から始まる英文銘、右側面に「紀念碑」から始まる報文銘が刻まれています。この銘文およびその他の参考資料によれば、本碑は、明治二年(一八六九)に観音崎沖で沈没したアメリカ軍艦オナイダ号を明治二十二年(一八八九)に引き揚げた際に、発見・回収された遺骨の供養碑として造立されたことがわかります。銘文の末尾にはキリスト教の正典である新約聖書マタイ伝の一節が寄せられています。宗教の異なる外国人の供養が当山で行われ、本碑が建てられたことに違和感を感じるかもしれません。事の詳細は不明ですが、引き揚げ業者が協議のうえ本宗信者の勧めに従ったとのことで、銘文に「慈愛ノ情ニ富メル日本人ニヨリ」とあるように、宗教を超えた国際的慈善業として行われたようです。
(本間岳人)
【参考文献】 文倉平次郎「本門寺に在る謎の異人墓」(『武蔵野』二三─八・1936年)/『池上本門寺歴史的石造物の調査Ⅰ』(池上本門寺霊宝殿・2010年)