佛の言 むなしからじとこそ定めさせ給え(南条殿御返事)
建治二年(1276)正月十九日宗祖五十五才、身延の山居から、今の静岡県上野の領主、南条七郎時光殿にお与えになられたお手紙の一節が今月ご紹介の聖語であります。
南条殿は上野の土地の領主でありましたので、大聖人は上野殿ともお呼びになっておられ、土地も近かったこともあり日々、月々に沢山の御供養のお品が身延山の大聖人のもとに届けられ、大聖人はじめお弟子の方々の日常のご修行、ご生活に大事な品々、食糧をお届けになられたお一人でもあります。今回ご紹介のお手紙について、先師はこのように思いを寄せておられます。
「初春の賀詞を申し上ぐると同時に、心からなる種々供養の品々があった。何時も乍らの厚志とは言え、雪に閉ざされた山居の日常を慰められ、然も肉身も及ばぬ送物のすべては、聖祖に対する眞誠(うそ、偽りのない心・尊敬して止まない心)そのものであった。(遺文全集講義)」
と南条殿の心情が拝せられます。
このような南条殿のご供養に対し、大聖人はそのお心に報いられるお心温まる感謝のご返事をしたためられ、更にこのお功徳は亡き父上への追善供養になるばかりでなく、あなたご自身の果報となるのです、とお示しになられ、このことは私日蓮の言葉ではなく、法華経行者者供養の功徳についてはお経文ではっきりとお示しになられている、とお説きになられます。
そして今月ご紹介の聖語
「佛さまは、法華経を信じ、その修行者を供養する者の功徳は大きい。又、自ら法華経・お題目の修行する者の功徳も大きいとお説きになっておられる。
このみ佛のお言葉は真実であり、必ず形となってお示しになられる。このことをしっかりとお心の奥に収めて、これからも佛道修行に励まれるがよい」
とお説きになられるのであります。
「佛(ほとけ)の言(みこと)、むなしからじ」
七百年後の私たちに示された大聖人からのご教示、私たちはどう受け止めたらよいと読者の皆様はお考えでしょうか。
かく申し上げる私でありますが、私は生涯の修行法として「唱題行」を行っておりますが、自らの青春時代、唱題行を始めたばかりの頃、唱題行の導師湯川日淳猊下からお教え頂いた一言があります。「菅野上人、全てを佛さまにお任せしなさい。」この時から六十年、今の私は「佛の言むなしからじ」を「佛さまに全ておまかせする」と受け止め、日々修行の生活をおくっております。