菅野貫首写真

法華経の行者 守護し給わんこと説かれたり(清澄寺大衆中)

 今月ご紹介の聖語は、題名にあります通り、日蓮聖人出家得度の寺、千葉県清澄寺の僧侶、一般信徒に宛てたお手紙の一節であります。
 身延山より日蓮聖人は建治二年(一二七六)の正月十日、清澄寺の人々に新春の慶賀を述べ、お正月に身延に来るならば数冊の教義本を借りて持参するよう頼まれたあとで
「私はかつて清澄寺の虚空蔵菩薩に〝日本第一の知者となし給え〟と祈り、智慧の宝珠を賜り、八宗十宗一切経の教えの全てを智る事が出来た」。
とお述べになられ、そのご報恩のため
「建長五年四月二十八日、清澄寺道善房持仏堂の南面において浄円房ら若干の大衆の前でこの法門を申し始めたが、それは立教開宗であると同時にお守りくださった虚空蔵菩薩、諸天善神へのご報恩でもあった」
と、お身内ならではの事を述べられました。
その上、法華経を弘めてきた私は数々の法難にあったが、その都度諸天善神のご加護をうけ今日に至っている事、それは私だけではなく法華経を信じお題目をお唱えし修行する全ての人にあてはまる事なのであるとお説きになられた上で今月ご紹介の聖語です。
「多宝佛も証明し、十方の諸仏も説かれたり、地涌千界、文殊・観音・梵天・帝釈・日・月・四天・十羅刹。〝法華経の行者を守護し給わんと説かれたり〟。されば仏となる道は別のようなし」
とお示しになられ、法華経の信仰者を守護するという事はお経文にしっかりと説かれている。現に私日蓮はそのご加護をいただいて今日に至っているのである。だからあなたたちも信じて励みなさいと熱心にお説きになられます。
 私たち凡夫は〝法華経の行者〟と申し上げると日蓮聖人お一人と受け止めてしまいます。かく云う私も自ら法華経の行者であると口がさけても申せません。ですが、法華経を信じ、お題目ひとすじにお唱えし、毎日を生活している事はたしかであります。先々号でご紹介の「法華経の行者への供養」と併せてお読みいただき、私達は〝法華経の行者〟と公言は出来ませんが〝如説修行者〟である事、この事はたしかであり、ご加護いただける身であります。ただ〝あの教えも〟〝あの宗派にも〟と揺れ動くのであれば〝法華経の行者〟としてのご守護はいただけません。これだけは肝に銘じておかなければなりません。お祖師様はここまでおっしゃってくださっております。あとは私たちが諸天善神ご加護をいただける生活をするか否かであります事を肝に銘じて共に精進いたしましょう。


合掌

日彰