我が心の三毒 貪・瞋・痴を戒めよ(智慧亡国御書)
建治元年(1275)宗祖大聖人、五十四才、身延山から現静岡県在住の持妙尼にお与えになられた御文の一節が今月ご紹介の聖語であります。ちなみに持妙尼とは、六老僧のお一人日與聖人の叔母上であり、高橋六郎入道殿の夫人でありました。本書は入道殿がお亡くなりになられた事を知り、お弟子の大進阿闍梨を使いとしてお墓でお自我偈を拝読させ、御供養申しあげるとお述べになっておられます。大聖人は相前後して持妙尼に御本尊を授与なされておられますから、持妙尼の法華経の信仰の深さが偲ばれます。
このお手紙で聖人は日常の心のあり様をお説きになられます。それが今月ご紹介の聖語であります。
「人は生まれ乍らにして三毒を持っている。それは貪(とん)(むさぼりの心)・瞋(しん)(怒りの心)・痴(ち)(おろかな心)のことで、ほっておくと次第に大きくなり、自らの寿命も縮めてしまうほどの毒なのである。
人は、日常生活において我が心の三毒に気を配り、毒が成長しないよう、心しなければならない。三毒の成長をさまたげる第一の力、それが南無妙法蓮華経、七字のお題目なのである。この事に心をよせご精進を祈っている」
ここであらためて、今の私たちの立場でこの三毒について考えさせていただきます。三毒の一つめは「貪(とん)」であります。「貪(とん)」とは、迷いの生活の根元としてのむさぼり・よくばり、つまり自己中心主義。自分の思っている通りに行動すること。昨今の風潮はまさにこの事を表しております。
二つ目の毒は「瞋(しん)」であります。憎しみ、自分の心にかなわない事物に対して憎しみ怒りの心をもつ事。生きとし生きる者に対する冷酷な心。人との争いのもと。これ又昨今の風潮そのものであります。
三つ目の毒は「痴(ち)」、物事の道理のわからない事、おろかさ。愚痴。迷いの働き。道理をわきまえず、取り違える心。真実に暗いことから、道理に迷い道筋を取りちがえる事。又々昨今の風潮であります。
私達は今まさに「三毒の直中」で生活していることになります。そこで大聖人のご教示「南無妙法蓮華経の心で生活しなさい」が心に響きます。この事をふまえて先師は
「三毒の一つが心に出てきたら即南無妙法蓮華経のお題目が浮かんでくる生活をしなさい」と呼びかけておられます。又このようにもご教示されております。「やってしまったそのあと、ひたすらお題目をお唱えする」と。
私達は今、自分も他人も全ての人が〃三毒の直中〟で生活しております。その中から救われる道、それが南無妙法蓮華経のお題目である事を今改めて心に納めて日々を過させていただきたいと希う今日であります。