菅野貫首写真

人は柔和忍辱衣と 申す衣あるべし(御衣並単衣御書)

 建治元年(1275)9月28日、身延山の大聖人のもとに、千葉県中山在住の富木常忍師が帷子(かたびら)(絹地)の御衣と単衣(ひとえ)の着物を送られたことへの感謝のお礼状が今月ご紹介の聖語であります。
送り届けられましたのが「お衣」でありましたから大聖人はお衣供養のお功徳の尊さをお説きになられます。それはお釈迦様前世の物語で説かれる、鮮白(せんびゃく)比丘尼(びくに)のご教示
「かつてお釈迦さまにお衣をご供養された比丘尼は、お衣を着て生まれ、成長するとともにお衣も大きく変化する徳を持たれていた」
という故事を紹介、富木氏のお衣供養も同じであること。しかも法華経に供養したのであるから、法華経の文字六万九千三百八十四文字分のお衣となるのであろうと、その功徳をたたえられます。
そしてお衣に由来するもう一つのご教示が示されます。これがこのお手紙の本当の目的でありますが、
「法華経・お題目を信仰するものは柔和忍辱(にゅうわにんにく)の衣を身につけるよう努力しなさい」という今月ご紹介の聖語であります。
ここでお示しになっておられる「柔和忍辱の心」とは、「優しく温順で」、「怒らず耐え忍ぶ」心のことでありますが、ご承知のようにこの心、言うは易く行うは難し、実行しにくい事、皆様すでにご体験済みの事と存じます。
そこで日蓮聖人は
「柔和忍辱のお衣の上に南無妙法蓮華経、お題目のお袈裟をお着けなさい」とお説きになられるのです。ご承知のように私共僧侶はお衣とお袈裟を一体として仏事を行っており、これが古来よりの形であり大聖人もこのようになさっておられました。この事実の上に立って「お題目のお袈裟」とお示しになられたのだと拝します。
心と頭ではわかっていても実現の難しい〝柔和忍辱の心〟その現実に向き合った時、もう一つの袈裟、お題目をお着けなさいとのご教示、ありがたいことであります。このことを先師はこのようにお説きになっておられます。
「柔和忍辱と言うと、自分だけが行う事と思いがちだが、それは相手も同じ、同じように苦しんでいる。忍辱の心をどっちが先に示すかの違いだけ、またこっちが先に示すと相手も答えて来る。その先に出す時に南無妙法蓮華経を心でお唱えすると先に出しやすくなる、私は二十四時間心で南無妙法蓮華経とお唱えしているが、するといつの間にか柔和忍辱心が出来ており、そのうちその事も忘れてしまう。要は二十四時間南無妙法蓮華経の心でいなさい、柔和忍辱の衣とはこのことなのである。と大聖人はおっしゃっておられるのです」と。私もこの心で毎日の行に励みたいと念じております。


合掌

日彰