菅野貫首写真

むかしの功徳は 今の功徳なり (南條殿御返事)

 今月ご紹介の聖語は、信徒南条時光氏が身延山の日蓮聖人に白麦一俵、小白麦一俵、河海苔五帖を供養された事へのご返事であります、聖人は南条氏が駿河上野郷に在住の郷士であられたので、上野殿という呼び方もなされ、約五十篇という門下第一、沢山のお手紙をお出しになられておられます。それは第一に南条氏が法華経信仰の篤い方であられたこと。第二は親族の事。第三はご供養に対する御礼がその内容で、ご供養の品とは白米何俵、白麦何俵、小白麦何俵にはじまり、芋、塩、河海苔、栗、筍、酢筒、清酒等々と多岐にわたっており、更には銭何貫文、衣服等々身延山でのご生活全般にわたるご供養の品々であり、お弟子・ご信徒の中第一のご供養者と申し上げてよい方であります。
そのような南条氏であられますので、本抄ではご供養の尊さについてお述べになっておられます。その説かれるところはまさしく私たちへのご教示そのものでもあります。その内容とは、
『お釈迦さまのお弟子阿那律尊者、迦葉尊者が過去世において仏さまにご供養されたので、そのお功徳によって現世で十大弟子のお一人となられたのだという故事を説かれ、み佛にご供養をした檀那が成佛しないはずがないとご説示され、供養の御品は法華経の文字となり、その人をお守り下さるであろう、これが法華経の行者へ供養されたお功徳なのである』
とご供養の根本精神をお説きになられた上で更に、今月ご紹介の聖語
『在世の月は今も月、在世の花は今も花、むかしの功徳は今の功徳なり』
と述べられます。
二千年前、お釈迦さまがまだこの世にお在しました時、天空に輝いていたお月さまは今も同じように輝き、私たちを照らしている。お釈迦さまがご覧になられた花は、名前や形こそ違えども今も咲き誇って私たちを慰めて下さる。この事と同じようにお釈迦さまご在世の時代には沢山の方々がご供養申し上げ沢山のお功徳を頂戴されたが、二千年後の今日お供え申し上げるご供養もまったく同じ、お功徳もご在世中と同じに拝受することができるのである。このご教示を拝し
『お釈迦さまご在世中に、ご供養申し上げ、沢山の方々がお功徳を拝受されたがその事と同じで今、私たちが佛さまにお供えする供物によって私たちは当時と同じお功徳を拝受させて頂けるのである。』
実に尊く、身に余るご教示であります。ですが我欲、自己主張はこの中に入っておりませんこと忘れてはなりません。
今月の聖語を私の領解で紹介させていただきました。今月の聖語「今の功徳」大切に心に止めておくべきご教示であります。


合掌

日彰