菅野貫首写真

所持の法華経 故聖霊の功徳とならざるべき(浄蓮房御書)

 今月ご紹介の浄蓮房と云うお方は今の静岡県興津の人で、日蓮聖人がお若い時からの信徒です。弘安二年、静岡在住の信徒達が迫害された熱原法難(あつはらほうなん)の時には、身を挺して日蓮聖人をお守りした篤い信仰者であったと伝えられております。
この浄蓮房が夏のお召し物「麻で出来た帷(かたびら)」を身延山の日蓮聖人にお届けしたことへのお礼と浄蓮房からの質問である〝私の供養は亡き父に届いていますか〟に対するご返事がご紹介の聖語であります。日蓮聖人は、
「浄蓮房が法華経を信じて修行し、法華経の行者、私日蓮に供養されたお功徳は、あなたの父君のお功徳にもなられ、大きな供養となられましたヨ」とお説きになられるのであります。そのみ教えが、今月ご紹介の聖語「所持の法華経、故聖霊の功徳とならざるべし」であります。
繰り返しになりますが、私の領解(りょうげ)でお伝えしますと
「浄蓮房は私たちと同様、日蓮聖人を敬い、法華経を信仰し、お題目をお唱えしておられました。しかし父君はお念佛の信者で、しかも亡くなってしまわれます。そこで浄蓮房は自分の法華経信仰の功徳が亡き父に届くのか心配になります。この心配、私たちにもあてはまります。別に亡き人が他の信仰でなく、私たちのご先祖様同様お題目をお唱えされていたとしても〝自分の信仰心、自分のお題目、自分のご供養が届いているのだろうか〟という心配をどなたもお持ちかと存じます。浄蓮房の心配もここにありました。その心配に対し日蓮聖人は今月ご紹介の聖語で〝あなたが日頃熱心にお題目をお唱えしている事は私日蓮が一番よく知っている事である。そのあなたが同じ法華経を信じ、修行している日蓮に供養された。まちがいなく亡き父上にとどいております〟とお説きになられます。浄蓮房はさぞかし安心なされた事でしょう。このご教示、浄蓮房だけでなく私たちに対するご教示でもある事、先に述べた通りであります。
 いささか長くなりましたが、今月ご紹介の聖語、私の信仰的受け止めを述べさせていただきました。そしてもう一言。私は早く両親、兄、姉、妹を亡くしました。両親、祖父母、亡き兄、姉妹のご回向を欠かしたことありませんが、かつて信仰心未熟でありました若いころ〝夢枕でもいいから届いたヨと言ってくれないかナ〟と思った事もありました。しかし今はちがいます。浄蓮房さんへのご教示を私へのご教示と拝受させていただいているからであります。そして、浄蓮房御書の事を教示下さった大学時代の恩師に感謝し、その恩師にもご回向申し上げさせていただいております。そんな私からのひと言「皆様のご供養ちゃんと届いておりますヨ」今月の聖語を私はこのように拝受しております。


合掌

日彰