菅野貫首写真

法華経の行者を供養するは 如来を供養し奉るなり(国府尼御前御書)

 令和六年の新春を寿ぎ宗門有縁各上人、当山檀信徒の皆様、十方有縁の皆様に心より新年のお慶びを申し上げます。
 併せて、一天四海 皆帰妙法 佛法広宣流布 家内安全 身体健全をお祈り申し上げます。

今月ご紹介の御妙判は、佐渡(さど)国府入道(こうにゅうどう)(名主級の農家の人)夫人にお与えになられたお手紙の一節であります。日蓮聖人佐渡ご配流中、阿仏房夫妻と国府入道夫妻二組のご夫妻が信徒になり、親身のご供養をなさいます。この事を日蓮聖人は本文で
「しかるに尼御前並びに入道殿は彼の国に有る時は人の目をおそれて夜中に食をおくり或時は国のせめをもはばからず、身にもかわらんとせし人々なり」
とおおせになられ、佐渡在島足かけ四年間にこうむったひとかたならぬ恩義に深い感謝の心を捧げておられます。
このようにご縁の深い国府尼御前が夫国府入道身延参詣に合わせて単衣をお届けになられた事へのお礼状が今月の御文であります。
そして今回ご紹介の聖語
「末代の法華経の行者を供養するは、十号具足まします如来を供養したてまつるにも其の功徳すぎたり」
いつものように私の領解を述べさせて頂きますと
「あなたは法華経の行者日蓮のために単衣をご供養なさったが、これは日蓮という末法の法華経の行者を通して教主釈尊へのご供養なのである、しかもこのご供養、み佛ご在世中にご供養なされたよりも勝れたお功徳をいただけるのである」
聖語紹介では結語だけにさせていただきましたが、眼前の日蓮聖人へのご供養が実は二千年余の歳月を越えてお釈迦さまへのご供養でもあるのだとの尊いおさとしであります、実はこのおさとし、現代に生きる私達に対するおさとしでもあるのです。
池上大堂のお祖師さまへのお供えが、実は二千五百年の時間・空間を越えてお釈迦さまへのご供養でもある事、実に尊い事、ありがたい事であります。本殿でのお釈迦さまへのお供え、申すに及びません。この心、このご教示大切に守らせて頂きたく受け止めております。


合掌

日彰