菅野貫首写真

佛法を学せん法は 必ず先ず時をならうべし(撰時抄)

 お釈迦さまのご説法には二種類あり、一つは『隨(ずい)他意(たい)』のお経、信徒との佛縁・教化で説かれた八万四千のお経の大半が随他意のお経。もう一つは『隨(ずい)自意(じい)』のお経。お釈迦さまご自身がこの教えだけは末の世まで残しておかなければと自らのご意思によってお説きになられたのが随自意のお経。二種でお釈迦さま自ら末法万年の「時」の人々の為にお説きになられたみ教え、それが妙法蓮華経であります。
 この事をしっかりと心に止め、今月の聖語を拝受していただきます。
 今月ご紹介の撰時抄は建治元年(1275)6月、身延山に於いて撰述され、四百余編の御妙判の中でも五大部の一つに数えられている重要な御書で、門下の人々全員に説き示された御書であります、ご真蹟は五巻110枚と大著であり、その冒頭が今月ご紹介の聖語であります。
「佛法を学せん法は、必ず先ず時をならうべし」
 いつものように私の領解(りょうげ)によってご説明させていただきます。(ただし、「教、機、時、国、師」の五義については別の機会に)
「仏道修行を志し、人生の安心を目指し、仏道修行の道、佛法を学ばれる時、先ずその教えがいつの時代の人の為に説かれたみ教えであるかを学ぶべきである。何故ならば、お釈迦さまのご説法五十年間、その大半はその時代に生活、人生の苦悩をかかえておられる人々のために、時に応じ、人に応じてお説きになられたみ教えである。その時から大聖人の時代まで二千年余、このみ教えは今を生きる者の為のものかどうかという『時』を先ず学ばなければいけない。お釈迦さまはご自身在世の時の人々へのみ教えと、自分亡き後の人々救済のみ教えを分けてお説きになられた、このみ教えはお釈迦さまご自身のご意志に随ってお説きになられたみ教え、それが妙法蓮華経なのである。
 そしてそのみ教えを弘めると言う事は他の『隨他意のお経』を否定することになる為に迫害を受けるとも説かれており、私日蓮はまさに、その通りの弘通、弘法の生活をし、今に至っているのである――」。合掌礼拝です。
 この「時」という事について、先師は大事なことを忠告しておられます。
「お釈迦さまが末法という時代に生きる私達のために説かれた法華経、日蓮聖人によってお示しいただいた南無妙法蓮華経のお題目、二つの大事な宝物を私達はお授けいただいている。なのに私達は本当に法華経、お題目を全身全霊をもって拝受しているだろうか。自信を持って私は大丈夫と言える信仰心を持っているか。人にはそれぞれにお題目の世界に入ってゆく『時』がある。自分の『時』はいつかと自問し日々の佛道修行に励みなさい。」このことであります。
 人生にはさまざまな「時」のある事、その「時」を知る事が安らぎにつながっている事にも気づかされます。今月の聖語はこのように深く、広いおさとしであります。


合掌

日彰