法華経を信ずる人は冬のごとし 冬は必ず春となる(妙一尼御前御消息)
今月ご紹介の聖語のお相手「妙一尼御前」と先月ご紹介申し上げました「さじき女房」とが同一人物という説がございますが、その点については割愛させていただきます。
建治元年(1275)五月に尼御前が身延山の日蓮聖人に「お衣(ころも)」を送られ、そのお礼のお手紙が今月ご紹介の聖語であります。
本文では妙一尼御前の夫が若くして亡くなられ、幼子をかかえて苦労している尼御前のご心労、さびしさ、悲しさ、その上でなお法華経信仰を守り通している尼御前をなぐさめられ、今月ご紹介の聖語「法華経を信仰している人が人生の苦にあうという事はたとえてみれば季節の冬のようなものである。冬は必ず春となるように、法華経の行者の災難、苦悩は佛祖三宝のご加護により必ず安らぎの時、春が来るのである。今は苦しくとも、ご加護を信じお題目の生活をなさい」とお説きになられます。
「冬は必ず春となる」尊い励ましのご教示であります。
今年五月の始め、初老のご夫妻が浄心居を訪れました。供にニコニコ、開口一番『お上人、私達夫婦、この三月で目出たく隠居、娘夫婦に会社の全てを譲りました。本当に感謝しております。これも一重にお上人のあのひと言のおかげです。ありがとうございました。』と深々と頭を下げられ、今お山のお祖師様にお礼のご報告をしてきました、とのごあいさつ。はじめは何の事かと思っておりましたが、お二人の感謝の言葉を聞いているうちに、およそ四十年も前の事を鮮明に思い出しておりました。
それは私がまだ江戸川区小岩の梅森教会の主管、お山の布教部に在職のころのこと。若夫婦が困惑した顔で来訪し『娘が離婚して家に帰ってくることになった。どうして迎えたらいいか迷っている』と。私は即座に『何にも言わずに二人で娘さんを抱きしめ、一緒に泣きなさい。言葉はいりません。批判めいた事、立ち入った事、一切に出さず三人で只々泣きなさい』と話し、そのあとでお二人に日蓮聖人は
「お題目をお唱えしている人が、人生の苦にあった時、自分は今冬の季節に居るのだ、冬は必ず春となるように今の苦しみは除かれ春となるのだと決意しなさい」とご教示しておられます。今はお題目をお唱えし春の来るのを待ちましょう。
この時から四十年、小さな町工場ながら三十人余の従業員をかかえる会社となり、娘さんはよき夫に恵まれ、孫もおり、この度目出たく会社を譲り渡し、私達は七十代始めで楽隠居になりました。お祖師さまのおっしゃられた通り冬は春になりました。これも一重にお上人のあのひと言のおかげです。ありがとうございました。と深々と頭を下げられるのでした。この事のためにわざわざ池上まで挨拶に来られたのでした。「冬は必ず春となる」大聖人のご教示七百年後の今日も生きているのだと実感の今月のご教示であります。