菅野貫首写真

法華経の行者に供養せし功徳は 無辺の衆生におよぼす也(さじき女房御返事)

 建治元年(一二七五)五月二十五日、身延山から鎌倉在住のさじき女房殿にお与えになられたお手紙の一節が今月ご紹介の聖語であります。
まず、「さじき」ということからご説明いたしますと、桟敷(さじき)という名は、源頼朝が由比ガ浜遠望のために桟敷を構えた事に由来し、現鎌倉市常栄寺さんがその跡であったと伝えられております。次に「女房殿」とはどなたかと申しますと、「妙一尼」ともよばれ、強い信仰心の人で日蓮聖人佐渡配流のとき自身の下僕である瀧王丸を随順、お給仕させた方で、六老僧の最長老日昭上人のお母様と伝えられております。このお方が日蓮聖人に帷子(かたびら)(麻織りの夏の単衣)をご供養なされたことへの感謝のお手紙が今月ご紹介のご妙判であります。
「法華経の御ために御かたびらおくりたびて候」とありますから、女房殿は日蓮聖人にご供養なされたけれども、それは法華経の行者へのご供養であり、法華経に供養された事になる。法華経に供養するという事は、法華経の文字、六万九千三百八十四文字に供養したこと、もっと言うならば六万九千三百八十四枚のかたびらを供養したことになるのである。
そのお功徳は無辺であり、はかり知れない、たとえて申し上げるならば、
「その功徳は父母、祖父母、乃至、無辺の衆生にもおよぼし、まして我がいとおしと思うおとこ(夫)は申すに及ばず」と、法華経供養の尊さ、お功徳の広大さ、深さをお述べになられるのであります。
このご教示をふまえて今月の聖語は「法華経への供養云々」から結論の「無辺の衆生」と一語ずつを聖語として紹介させていただきました。
勝手な事で誠に申し訳ありませんが、このような形にしませんとさじき女房殿にお与えになられたご教示を七百年後の私達拝受の御文、よびかけの御文に出来ませんでした事、ご無礼を深くお詫び申し上げる次第であります。
以上の事から今月の聖語は「法華経の行者に供養せし功徳は無辺の衆生に及ぼす也」とさせていただきました。
さじき女房殿より夏に向けて麻地の単衣、帷子(かたびら)のご供養をいただき、御礼申し上げます。この帷子は私への供養でありますが、私は法華経の行者でありますからこの帷子は法華経に供養なされた事になります。法華経の文字は六万九千三百八十四文字ですから六万九千三百八十四枚の帷子をご供養なさった事になるのです。そしてその功徳は無辺です。ご両親はじめご先祖様は勿論の事愛する人だけでなく限りなく多くの方々へのご供養となるのです。
この御心、七百年後の今日も変わりません。「法華経に供えた一個の供物が六万九千三百八十四個の功徳を拝受する」このご教示供養の尊さをかみしめたい今月の聖語であります。


合掌

日彰