菅野貫首写真

地涌の菩薩 法華経の肝心を流布せしむ(曾谷入道殿許御書)

 文永十二年(1275)三月十日身延山から千葉県在住の曾谷教信・大田乗明両氏にお与えになられたご教示の一節が今月ご紹介の聖語であります。
曾谷・大田のお二人は「日蓮聖人と血縁関係にあったと伝えられ、遊学当時から聖人を支援した篤信者で、共に学識があり、聖人の教義を理解する素質もあった為信頼も篤かった」(遺文辞典より)方々です。
 そういうお二人へのお手紙ですから、古来より重要なご教示と尊ばれてきました。お釈迦さまはご自身亡きあと二千年と云う永い将来に向けてまでも教えを説かれたこと、その教えが法華経であること、その法華経の肝心(一番大切な教え)をしっかりと授け継ぎ、それを弘め、人々を救済する役目を上行菩薩に付属(託された)し、それを今、私日蓮が上行菩薩出現の先がけとして弘めていることが、経文・天台大師のご教示を柱としてお示しになられます。
 今月ご紹介の「地涌の菩薩」とは、法華経第十五章從地涌出品で「法華経を末法二千年の時代に弘めることは困難をきわめる」とのお釈迦さまのお言葉に対し、早速に舎利弗尊者・目蓮尊者という十大弟子の方々が「その役を」と申し出られますが「止(や)めね善男士」とお止めになられます。人々が、どうすればよいのかと戸惑って居られると、大地が上下東西南北に大揺れし、上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩を代表とする多くの菩薩達が出現、お釈迦さまに親しく挨拶なさいます。そしてお釈迦さまはこの地涌の菩薩に末法の時代の布教を任されるのであります。地涌の菩薩とはこのような謂われを持ったお釈迦さまのお使いであります。そして「法華経の肝心」でありますが、訳本は違いますが聖徳太子も法華経を読まれ十七条憲法の精神となさいました。各宗の祖師方も読んでおられ、人によって不用・重要はわかれますが、読まれたことは確かであります。ですが皆様「地涌の菩薩」「上行菩薩にまかせる」段になると「無言」であります。只一人日蓮聖人だけが「法華経はお釈迦さまの金言」(真実の言葉)と受け止められ「地涌の菩薩」「上行菩薩付属」はお釈迦さまの金言であるから必ず実現されると受け止められ、そのお心で法華経を読まれ、南無妙法蓮華経のお題目を示されたのであります。つまり「法華経の肝心」は日蓮聖人の法華経受持によってのみ示される「衆生救済の魂(たましい)・南無妙法蓮華経」なのであります。このことを念頭に今月ご紹介の聖語を拝しますと
「お釈迦さまは自分亡きあと、二千年後(末法の時代)の人々の為に法華経という大事なみ教えを遺され、それを実現する為に地涌の菩薩をよばれてお役目を付属(命じられる)されたであるからその地涌の菩薩でなければ法華経の肝心(一番大事なこと)である南無妙法蓮華経はわからない、つまり地涌の菩薩が出現してのみ、お釈迦さまが末法の時代の人々の為に遺された妙法蓮華経の真の教えお題目が弘められるのである」
今月の聖語を私はこのように拝受しております。


合掌

日彰