民の愁い積りて 国を亡す等 是れなり(大田殿許御書)
今月ご紹介の聖語は、日蓮聖人と同い年で大田(おおた)金吾(きんご)殿・別名大田乗明(じょうみょう)上人にお与えになられたお手紙の一節です。大田氏は下総地方の三大信者の一人と伝えられるほど強い信仰の持ち主でありました。ちなみに三大信者とは曽谷(そや)入道(にゅうどう)・金原法橋(かなはらほっきょう)、そして大田乗明上人のことで、日蓮聖人は「一人も来らせ給えば三人と存じ候なり」(一人が来られれば三人が来られたのと同じ)とおっしゃられるほど三人の同信・知友・同朋の交りを善くご覧になっておられました。人もうらやむ仲であります。
今回ご紹介のお手紙は文永十二年(一二七五)身延山よりお出しになられたもので、蒙古襲来、台風、疫病等の現状をご覧になられて、政争に明け暮れている幕府の態度を直視しつつ、国民の一人一人が自覚を持って生活すべきである。諸宗教はその事を人々に説くべきであるのに説いていない、まことに残念な事であるとお説きになられた上で、今月ご紹介の聖語
「民・国民一人一人の恨み、苦しみ、悪しき行いが、積り積って国を亡ぼす事になりかねない。民・国民はこの事を肝に銘じ日常の行いをすべきである。又幕府もこの事を念頭に、現実を直視し政(まつ)り事を行うべきである。」
日蓮聖人のご教示を今の時代の表現で、私の領解、宗教的理解でお伝えさせていただきました。一つ念おしをさせていただきたい事があります。それは「愁(うれ)い」という日蓮聖人のご教示であります。今日の理解では「ものさびしい事、悲しみ・何事かに沈み込むこと(国語辞典)」でありますが、聖人はもっと深い事をご教示なさっておられるのです。それは人々の心の中に「一種の無力観、あきらめムード、自分一人の力ではどうにもならない、今生の事はもうあきらめ、何もしない、来世にかけて祈るしかない。幕府が何か私たちの事をしてくれるなどと思ってはならない」これ等全てが聖人のおっしゃる「愁い」なのです。そして用心すべきはこのムードから「自分が生きるためならば何をしてもよい。他人の事を考えたら生きてゆけない。この世は強い者だけが生き残れるのだ」の考えに結びつく事であります。
日蓮聖人のよびかけを私達に対するよびかけと拝受したとき、現代における「愁い」は何なのでしょうか。
多くの識者は現代の愁いをスマホや暴力と指摘しておりますが、それは小の愁い。大の愁いは令和の蒙古襲来とは何か。ロシア・ウクライナをはじめ世界各地の戦争日本に無関係なのか。令和の大疫病コロナの次の疫病は。地球温暖化はどこまで。大雨大風大嵐はどこまで等々今こそ日蓮聖人の指摘された「愁い」「立正安国――正しい教えに導かれた生活」の今日的意味をしっかりとかみしめ、自らの行動を定めるべきであります。