佛御存知の御意は 但法華経一宗なるべし(聖密房御書)
文永十一年日蓮聖人が聖密房に与えられたご教示が今月ご紹介の聖語です。聖密房は清澄寺に在住で、真言宗の僧侶でありましたが信仰に疑問を持ち日蓮聖人に相談なされ、それへのご返事。お手紙で日蓮聖人は、真言宗の大日経や経典・論文・弘通の人についていろいろ述べられますが、
「日蓮は人を難ずるにはあらず、但不審するばかりなり」とおっしゃっておられます。つまり自分はいろいろ批判めいたことを述べているけれども、それは単なる批判、悪口ではなく「不審」疑問に思っていること。その教えはお釈迦さまの真意ですか、人々は救われますか。という納得いかない事を申し上げているのである、とおっしゃられます。日蓮聖人というと「批判される人」というイメージが伝わっておりますが、「自分が疑問に思っていることの表現にすぎない」とのお手紙の一節、お心に止めてほしい一言であります。
今月ご紹介の聖語で日蓮聖人は「二千五百年前お釈迦さまは私達のために妙法蓮華経を遺された。末法に生きる人のためのみ教えは法華経だけなのである。それを信じきり修行しなさい。」とお示しになられます。
その後の聖密房のことは伝わっておりませんが、ご真蹟十四紙が身延山に現存していることから拝するに、身延山に在住され日蓮聖人のもとで修行されていたのでは、と私は拝しております。
さて、この時から七百余年、聖密房の疑問は今日の皆様も同じかと存じます。今世界には数えきれないほどの宗教があり、あれこれ迷っておられる声を耳にします。私は日本宗教学会の名前だけの会員ですが、会報で紹介される各宗教の論文を拝見しますと専門の大学教師の方々ですら苦労されています。それも一宗教、一教団ですらです。全体となるととてもとても。私は
「他宗教のことをあれこれ考える前にまず法華経二十八品六万九千三百八十四文字の教説・日蓮聖人四百余編のご妙判を学ぶべきである」その上で「他の宗教のことを学びなさい」と申し上げることにしております。
それでもと申さるなら、まず佛教について学んでいただきたく、その為には国訳一切経全二百巻(私、未だ通読しきれておりません)法華経大講座全二十巻・日蓮聖人遺文全集講義全二十一巻(通読しました)について学んでいただきたく思います。更なる解説書等も多数ありますから佛教を学ぶについての資料には事欠きません。これら経典、全集講義等はネットで即お手元に届きます。是非ご一読下さい。その上で法華経、お題目の信仰を持たれること、これに勝る仏道修行はありません。
ではありますが目紛しく変化する時代に生きる私達です。聖密房が迷いに迷って法華経に至った事に学び今はひたすら法華経を学び、お題目を唱え、安らぎに至るべきときと私は拝受しております。