菅野貫首写真

心(信)の固きに依りて  神の守り則ち強し(諸宗違目抄)

 「お題目を信じきる力、固い信仰心を持っていると、諸天善神のご加護も又強いのである」
 今月ご紹介の聖語を私の領解(りょうげ)で解説いたしました。文永九年五月五日、ご配流の地佐渡から聖人第一の信者である、今の千葉県、中山在住の富木(とき)常忍(じょうにん)師にお与えになられたご教示であります。同時にお弟子をはじめ一門の人々に広く伝えるよう申されております。
日蓮聖人の龍ノ口のご法難、佐渡へのご配流を知り多くの信徒が離れ、お題目の信仰を捨てたと言われております。人々は「日蓮ご坊は日ごろ法華経の行者と言っておられるが、諸天善神は守って下さらなかったではないか」と。これらの批判に対し日蓮聖人は
「自分はこの度、龍ノ口の法難を奇跡的にのがれたがこれは諸天善神のご加護によるものである。諸天善神が日蓮の日ごろの弘法をお認めになられてのことである。」
「日蓮流罪に当れば教主釈尊衣を以て之を覆いたまわん」とおおせになられ、「そなたたち佛天のご加護をゆめゆめ疑ってはならない。」と念をおされるのであります。ご配流から御赦免身延での平安なご生活を拝する時、諸天善神のご加護を強く感じられる。私たち門下一同共通の思いであります。
この時から七五〇年、令和の世に生きる私たちはこの事を我が身に当ててどのように受け止めるべきでありましょうか。
「人生は苦と楽があります。でも、どうしても苦の方を大きく強く受け止めるのが私たちであります。どのような苦でもひと声南無妙法蓮華経と至心に唱えなさい。必ず乗り越える力を与えて下さる。生きる力を与えて下さる。それがご加護です。」とは日蓮聖人のご教示であります。
私は思います。ご加護を信じきっている者にご加護はあるのだと。ご加護なんて、と思っている人にはご加護はありません。又私はこれだけしたのに、と不平の人にもご加護はありません。ご加護を信じ信じ信じきりなさい。今月の聖語はこのことをよびかけておられるのであります。


合掌

日彰