菅野貫首写真

未来は霊山浄土にまいるべしとおもう(四条金吾殿御書)

令和三年の結びとして、日蓮聖人第一のご信者である四条金吾殿にお与えになられたご教示をご紹介いたします。この御書は「お盆と施餓鬼供養について」のご教示ですので、門下の者にとって親しみ深いご妙判でありますが、このご教示の根底には「成佛と霊山往詣を信じきる」という深く強い信仰条件が説かれております。
そこで伺いますがあなたは自分の死後のこと考えたことありますか。死のあとに佛の世界のあること信じますか。わかんない。信じたいけど…。信じられないよ。それより今の方が大事。等々のお声が聞こえてきますがそれでは困ります。私達が大安心の境地に至るには、まず自分の霊、佛性を信じ、死後の世界佛さま、日蓮聖人のおられる霊山浄土を信じきることが第一条件だからであります。信じきれた人を日蓮聖人はこうおっしゃっておられます。
『艮(うしとら)の廊(わたりどの)(佛さまのおられる所)にて尋ねさせ給え。必ず待ち奉るべく候』と。
このお立場で日蓮聖人は今月の聖語
「自分は死後佛さま、日蓮聖人のおられる霊山浄土にお参りするのだと強く信じきりなさい。そしてその時の事を念頭に日夜行動するべきである。」
 自分が今行っていることは将来佛さま、日蓮聖人の御前に行った時、まっすぐ佛さまの目を見てご報告出来る事かどうか、今月の聖語はこのことを呼びかけておられるのです。
今年も残すところ僅かとなりました。二年続けてコロナという疫病に悩まされ、人々は自分のことしか考えなくなり、日本人の心底にありました他の人・隣近所への思いやりという温かい心が失われてしまったかの感があります。ですがこのコロナを期に逆に自分と他人との絆について考える好機であると受け止めるべきであると私は考えます、そして令和三年の総締めくくりとして「自分は今年一年何を行ってきたか。その行動は佛さま、日蓮聖人に申し上げて恥じないことであったろうか」を自分に問いかける聖語として受け止められますこと祈っております。


合掌

日彰