謗法(ほうぼう)の者には一向に法華経を説くべし(教機時国抄)
宗祖日蓮大聖人第七百四十遠忌御報恩謝徳 合掌
「宗教、佛法を信じようとしない人にもひたすら法華経お題目の功徳を説きなさい」
今月の聖語は伊豆の伊東ご配流の地からのお手紙で、この御妙判の名称『教機時国抄』は日蓮聖人自らおつけになっておられますので特定の信徒の方ではなく、門下の人々全員に向けてお説きになられた御書と拝します。
佛さまは特に法華経を人々に信じ行じてもらうにはいくつかの要件がある、と説かれています。
第一は「教」一般的には佛教全てを指しますが、この場合法華経の事。第二は「機」機根(きこん)とも言われ、その人の宗教的理解力の事。第三は「時」植物の種を撒くにも春夏秋冬の季節があるように、佛さまのみ教えにも時の流れに応じたみ教えがある事。末法の今は法華経の時である事。第四は「国」ですが、末法に入って印度、中国等諸国で、上行菩薩出現はありません。唯一、み佛の指名された国、それが日本である事。第五はその教えを弘める「師(人)」、御妙判では法華経の先師と表現されておりますが後世の私達門家は日蓮大聖人と受けとめております。
以上五つの要件が揃っても人々は信じようとしない、だから折伏(しゃくぶく)(強い言葉)での表現が必要でした。それをなさったのが日蓮聖人です。そして私達。第一は先に述べた五つの要件を信じきる事、第二は自分で行じ大安心への道を歩み始める事、第三は今月ご紹介のご教示「他の人にもお題目のありがたさを伝える」ことになります。
日蓮聖人は「一文一句なりとも」とおっしゃっておられます。自分が行い、少しでも近づいたなと感じたらまず他の人にやさしくおだやかに話をしてみる。他人に話すことによって更に自分の「信」が深まります。すると修行の心構えが変わりますし、その後の「安らぎ」にも変化が生まれます。その法の悦びを他の人にも教えてあげたいと本気で思うようになります。この繰り返しがご自分の大安心への道であります。やみくもに伝えるのではなく、まず「自分の行」が第一であること、このことをしっかりと心に納め今月のご教示を実行して参りたく念じております。