菅野貫首写真

釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す(観心本尊抄)

 『お釈迦様が今生だけでなく、過去の世から積み重ねて来られた無限のお徳は妙法蓮華経の五字に全て備わっているのである。』
過去数回に於いてご紹介してきました観心本尊抄の結論とも申し上げるべきご教示をご紹介します。紙数の都合上、結語の一部しかご紹介出来ませんでしたのでその続きをご紹介しますと
「我等この五字を受持すれば自然にかの因果の功徳を譲り与え給う」
私たち衆生が法華経をはじめ諸経の真の意味を理解していなくとも、心と体で南無妙法蓮華経のお題目をお唱えすれば、自然にお釈迦さまがお積みになられたお功徳を拝受することが出来るのだというご教示であります。
 一例をご紹介します。かつて私は九州福岡、博多にあります、日蓮聖人銅像護持教会、湯川主管上人のお招きで、二週間滞在、地区ご寺院のお会式布教のお手伝いをさせて頂いたことがあります。ここには元寇の役を記念して立派な日蓮聖人の銅像が建立されており、毎日沢山の方々がお参りに来られます。
 みんな何か願い事を持っておられる方ばかりで、中にはお百度願いをしておられる方もあります。ある時、湯川主管上人が「菅野上人、あのご婦人はご主人がガンで九州大学病院医学科に入院、お百度を三回もされておられる方です。あのお顔をご覧なさい。穏やかで、静かな、落ち着いたお顔をしておられましょう。ご主人がガンで入院、当病平癒のご祈願を申し込まれ、お百度を発願された頃の奥さんのお顔はすごかった。何が何でも私の祈りの力での気持ちが全体に表れておりました。その後、治らない、手術してもだめ、と知り絶望の淵に落とされ、お百度を止めようとなさいました。そこで私は申し上げた。『奥さん、奥さんのお百度ご主人も知っていて、病院でお題目をお唱えになっておられますよ。』この時から奥さんの気持ちが変わられました。ご夫婦で病気・ガンを受け入れたのですよ。治して下さいから、痛みが小さくなりますように、ご主人の気持ちが少しでも安らかでありますように、と。」 〝病床で死を待つ苦しみ〟は並大抵のことでは無かったと思います。その苦しみに奥さんの愛情とお題目が加わって、お二人の間には「同苦」の気持ちが、そして「同信」「同行」の気持ちが通じ合うようになられた。そこに博多のお銅像さま、日蓮聖人がおられたのでした。「死」の「恐怖」を受け入れる、並の努力では出来ません。お百度とお題目、そしてお銅像さまの目に見えないお力がそこにはありました。
 その後、湯川主管上人さんから伺ったところによりますと、なんと三年も寿命が延び、大往生されたとの事でありました。
「我等この五字を受持すれば自然にかの因果の功徳を譲り与え給う」
このご夫婦の「同苦」「同信」「同行」が、死の受け入れという安心の境地を与えられたのだと私は拝しております。


合掌

日彰