瞋(いか)るは地獄 貪(むさぼ)るは餓鬼
痴(おろか)なるは畜生 諂曲(てんごく)は修羅(観心本尊抄)
文永十年(一二七三)四月、日蓮聖人は佐渡一(いち)の谷(さわ)(現本山妙照寺)において、ご生涯の大事として一巻の書をおしたためになられます。それは当面は大檀越富木常忍師をはじめとする一門の方々でありましたが、まことの相手は七百年後の私たちのご教示でもあるのだと私は拝しております。もうすでにご紹介しておりますが、本書の前年におしたためになられた「開目抄」において、聖人は
「お釈迦さまは法華経においてご入滅後二千年を経たなら上行菩薩を世に出現させる〟とご予言なさっておられるが、自分はその先がけとして法華経を説いている」
とお述べになられ、そのご自覚をお示しになられましたが、今月ご紹介の本尊抄はそのご自覚にたたれて末法の衆生、私たち門下の者へのご教示であります。
題名の「観心」ということでありますが正に文字通り「自分の心を観る」ことであります。聖人は本書の中で
「我が己心を観じて十方界を見る」とおおせになられております。自分の心を静かに見つめて心の十方界、つまり佛の心から地獄の心まである自分の心の中で自分は今、どの心の状態にあるのかを見きわめ、反省、佛道修行の材料にしなさい、というご教示であり、そして今月ご紹介の聖語となるのであります。
「瞋(いか)(怒)る心。腹を立てる、怒鳴るなどは自分の心が地獄の状態にあると受け止めなさい。貪(むさぼ)る心。欲が深く限りなく自分の欲望を求めつづける欲ばりの心は餓鬼の状態にあると知りなさい。痴(おろか)な心。物ごとの本質をわきまえず、ただただ物事に執着する心が出た時は自分は今畜生の状態にあるのだと反省しなさい。諂曲(てんごく)(人をあざむく)心の状態にある時自分の心が今、如何にみにくく他人に迷惑をかけているか、正に修羅の世界におちているのだと気づきなさい。このことをしっかりと自分の心の中でおさえておき、佛道修行、日常の生活に生きた教訓としなさい」
今月の聖語を私はこのように拝受しております。今回私は聖人の示された十の心のうち四つの心のことをご紹介いたしました。佛教では十界(じっかい)と申しまして、私たちの心は、上は仏の心からはじまり菩薩の心、縁覚、声聞の心、天上(ぬか喜びの心)、人間(あれこれ迷う心)と下ってきて、先にご紹介の四つの心に至るのであります。何故この四つをあげたのかと申しますと、私たち凡夫はどうしてもこの四つ、いや貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)(これを三毒(さんどく)、三悪道(さんあくどう)と言います)の三つの心に止りがちであるからであります。怒るは地獄の心、欲望のみに生きるのは餓鬼の心、物事の有り様を知らずにふらふらしているのは畜生の心。
ともかくこの三つ、この三毒、気をつけましょう。