菅野貫首写真

法華経の文字は一字の宝
無量の文字は無量の宝珠なり(日妙聖人御書)

 今月の聖語の前に、日妙聖人という方を紹介させていただきます。日妙聖人と申し上げると男性の方かと思われるかも知れませんが実は女性です。早くから夫と離別し鎌倉に娘、乙御前と二人で生活をしつつ、日蓮聖人の信徒となり生涯法華経信仰を持たれた方であります。日妙聖人御書は、文永九年(一二七二)五月、乙御前を連れはるばると鎌倉から佐渡ご配流中の日蓮聖人を訪ねられます。七百年前の鎌倉から佐渡への旅、ご想像下さい。日妙聖人とはそういう強い信仰と、求道心の持ち主でありました。日蓮聖人はこの志をたたえられて、本書日妙聖人御書をしたためられ
「あなたは日本第一の法華経の行者の女性です。その佛縁をもってお名前をつけてあげましょう。昔不軽菩薩という強い信仰心の方がおられたが、その方の強い信仰心のようであるとの思いを込めて日妙聖人という佛さまのお名前を授けましょう」 とお述べになられるほど日蓮聖人は日妙聖人の信仰心を高く評価されておられました。このことを念頭に、今月ご紹介の一節を私の信仰的理解を込めてご紹介させていただきます。
「妙法蓮華経というお経は六万九千三百八十四文字から成っているが、その一文字一文字が宝物、人々の悩み苦しみを救って下さる宝の珠である。しかも法華経を読誦することは一切経、お釈迦さま五十年のご説法の全てを読誦しそのお功徳を拝受したことになると言われております。そのお功徳と文字の数は計り知れない。とりもなおさず宝の珠である、法華経を持ち拝読することは、まさに計り知れないほど多くの宝珠を拝受することになるのである」
このことを今少しご理解していただけるようご紹介の御文の前段をご紹介しますと
「妙法蓮華経は八巻にまとめられたお経である。その八巻を拝読すれば十六巻を拝読したことになるのである。何故かと言うと、お経は釈迦牟尼仏、多宝如来お二人がお説きになられたお経だからである」
 一巻の拝読が二巻の拝読となる、多宝如来は人々を救う真実の教えは法華経であると証明なさった方ですからまさしくお二人のお経にちがいありません。それを一巻が二巻の功徳ありとお説きになられるところが日蓮聖人の法華経受持の真実のお姿、お心なのであります。
 数字や形、音の氾濫に生きる私たち現代人は、ややもするとお経の拝読までもが表面的になりがちであります。そんな私たちに「無量の宝物を粗末にしてはいけない」と今月の聖語は警告なさっておられるのであります。
「お経を拝読するということは、二千五百年の時空を超えてお釈迦さまご説法の座に自分も坐らさせていただいていることなのだヨ」
少年の日、今は亡き師匠が懇々と説いて下さった「お経拝読の心得」があらためて蘇ってくる今月の聖語であります。


合掌

日彰