菅野貫首写真

人をあだむことなかれ
眼あらば経文に我が身をあわせよ(開目抄)

 今月も開目抄のご教示をご紹介いたします。先月号で日蓮聖人が極寒の地佐渡に配流の身でありながら「日本第一の富める者」という日蓮聖人法悦のご心境をご紹介いたしました。今月は私達に対し、自分と同じように佛さま、法華経と生きる法悦を味わいなさい、というよびかけであります。
『自分が不幸であるとか、他人とのことで心を悩ますことはやめなさい。 もしあなたが法華経・お題目を信仰し自らの本当の幸せを希うのであれば〝自分の行動を法華経の経文にお題目のみ教えに照らしてみなさい〟〝自分はお題目の心で他の人に接しているか、お題目の心で日常をおくっているか〟を我れと我が身に問う生活をしなさい。』
 今月の聖語を私の領解を通してご紹介させていただきました。なかなか厳しいご教示であります。ですがもう一度聖語を拝見なさって下さい。
「経文に我が身をあわせよ」とは〝佛さま・お祖師様と一緒の生活・言動をせよ〟と言うことであると私は拝受しております。
 このことを江戸時代の高僧慧明日燈上人という方がご自分の母上にお題目のこころを示されたご教化でこのように絵解きされております。
「母上まず目をとじ、おなか中の自分勝手な心の気をはき出して下さい。そして佛さま、日蓮聖人を心に念じ清浄の気を鼻から吸います。これを三回くり返します。そして心も体も息も清浄になったところでお題目を静かにお唱えします。こちらは十唱ほど。この浄らかな気持、佛さま日蓮聖人とご一緒の気持、この気持を一時(いっとき)持てば一時の佛さま、一日持てば一日の佛さまなのです。つまり母上が一時の佛さまになられたのです。そのあと日常の母上、凡夫の母上にもどられます。このくり返しの中で佛さまの時を少しでも長くするこのこと大切にして下さい。そして一日に何回この気持になれるかをご自分でおたしかめ下さい。いや、このことをお楽しみ下さい。それがお題目の生活なのです。」
一日に何回佛さまの境地に至れたかを楽しんで下さい」日燈上人の母上に示された温かさが伝わってきます。如何でしょう、 〝一時の佛〟 〝一日の佛〟自分を監視するのではなく〝今日は一時の佛さまになれた〟と楽しむ。これなら私たちにも出来るのではないでしょうか。
当山第八十世金子日威貫首さま、聖人でなくあえて親しみをこめ貫首さまと申し上げさせていただきますが、「私は朝のおつとめが一番の楽しみだ」が口ぐせでした。小僧の私など〝苦行〟だったのですが、その苦行を楽しみと拝受するこの楽しみの気持こそが今月の聖語の実践であったのだと、私は拝しております。一年の終りの月、一年の反省心をこめ、実行なさることをおすすめします。


合掌

日彰