大事の秘法を此国に初めて之を弘む
日蓮豈に其の人に非ずや(富木入道殿御返事)
文永八年十一月二十二日、日蓮聖人は佐渡塚原三昧堂において、佐渡御配流の第一報を富木常忍入道にお出しになられますが、今月の聖語はその一節であります。冒頭で「霜、雪の降らない時はあっても、日光を見ることなし。八寒(八種の寒さ)を現実に感じて居る」と現代の十二月の佐渡の寒さについて述べておられます。そして、龍の口での刀杖の難に加えて、佐渡配流の難、これこそが二千二百余年前に教主釈尊が末法の衆生の爲に遺されたお経、法華経で予言されている『上行菩薩出現と法華経流布の法難』に相当することである、との確信をお持ちになられるのであります。ご心中を富木入道にお示しになられたのが本書であります。
「教主釈迦牟尼佛世尊が、末法の衆生のために上行菩薩に託された大事の秘法、法華経、お題目を此の国において初めて弘めたのが私、日蓮である。ならば私日蓮こそが二千二百年前、印度霊鷲山において付属を受けられた上行菩薩その人に非ずや」
ついに上行菩薩ご自覚の一言をお述べになられました。佐渡に渡られる前までは「先がけの人」「代官」等のご発言でありましたが、ご自身の数限りない御難、経文の予言通りの天変地異、外国からの難、全てが経文の予言通りであり、それに基づいて私は発言、警告し、この大難である。しかもこのことは印度、中国、日本において未だかつて誰も弘めてはいない。内心では思っておられた先師も存在したが、実行はなされなかった。私日蓮が唯一人この秘法を世に弘めたのである。このことは大難の苦しみより、その大任を自覚した法悦の方がはるかに大きい。であるから
「この度の佐渡への流罪の事、痛み苦しみ歎く必要はない。この難は法華経勧持品、不軽品に説かれている通りなのだから、むしろ悦んでもらいたい。只一つ願うことは日本が、世界が佛の国となることなのである」
ご自身は数限りないご法難の結末として八寒地獄に譬えられる極寒の佐渡塚原の荒れた小堂に身を置きながら、佛法体現(色読―体で読む)の法悦にひたりつつ、この国の人々がお題目による心の平安を持つ佛の国へと変ってゆくことを願う日蓮聖人の御心。私たちはどう感謝し、どう受け止め、どう実行してゆくべきでありましょうか。毎々申し上げていることでありますが、私たちにとって大事なことは日蓮聖人上行菩薩のご再誕、法華経お題目こそが私たちに心と体の安らぎを与えて下さるみ教えと信じきり、実行すること以外何もありません。私が、師匠から申し渡された教えの中に「いつお祖師様の処に行っても胸を張ってご報告出来る生活をしなさい」がありました。いつ来るか判らない死、その時がいつであっても〝私はお題目をお唱えし、実行してきました〟と報告出来る生活をする。ここに法華経お題目に守られた生活があります。日蓮聖人上行菩薩のご自覚は、私たちの信仰生活にこのように重なっているのだと私は拝しております。