日蓮は諸菩薩の代官としてこれを申す
加被(かび)を請くる者なり(寺泊御書)
文永八年十月二十二日、今の新潟県寺泊の地より、千葉県中山の富木常忍氏にお出しになられたお手紙の一章であります。先号でもご紹介しましたが、日蓮聖人は龍ノ口のご法難の後、佐渡へのご配流となられますが、寺泊の地で順風待ちのため約六日間この地に留まられ、その時の文であります。
富木氏は聖人の身を案じ、供奉の入道をつけられますが、聖人は「ここまででよい」とお帰しになられ、その供奉の入道にたくされたのがこのお手紙であります。又この時富木氏は『鵞目一結(がもくひとゆい)』を供養されたと古書にあります。いつの世も同じと思われるのは私一人ではないと拝します。
『私日蓮は、佛陀釈尊、諸天諸菩薩のお使い(代官)として行動し、幕府に申し上げているのである。だから諸菩薩は私を護って下さっているのである。』
今月ご紹介の聖語を私の領解で現代語訳をさせていただきましたが、よりご理解を深めていただくために前後のご事情を加えて、再度ご説明させていただきますと、
「日蓮聖人は法華経に説かれている内容を全て真実・事実と受け止められました。そのみ教えには〝この世に生きるもの全ては仏の子である、みな平等に心安らかに生きるべきである〟〝生きる力、佛力を持っている〟と説かれており、聖人はそのみ教えに従って立正安国(お題目によって、人・国が幸せになる)のみ教えを世に弘められましたが、時の権力者はそれを認めません。認めると自分が成り立たないからであります。そこで聖人を迫害しました。それが龍ノ口のご法難であり、佐渡へのご配流であります。ですが聖人は私はみ仏の教えの通りに発言しているので、私日蓮の個人的幸せ、又お金、地位のために言っているのではない、人々の幸せのために言っている。今回このような難に遭っているけれども必ず諸天はご加護下さるであろう。」
との確信をお述べになられたのがこのお手紙であります。事実佐渡では足かけ四年でご赦免になられ、その後身延山にご入山なされますが、聖人のご教示は佐渡ご配流前と配流の後では深まりに差があります。佐渡でのご生活は〝法華経の行者日蓮〟としての確信がより深まってゆかれるのであり、今回ご紹介のお手紙は『佐前最後』のお手紙ということになります。
では今月の聖語を私たちはどのように受け止め、実行したらよいか―。
「日蓮聖人が受けられたご加護を私たちも拝受することが出来る」まずこのことを信じ「お題目を口と心と体で実行」することであります。何を実行するかは人によって異りますから
「自分の行動がみ仏のお題目の心に叶っているか」との自己判断が必要で、その判断をみ佛と一対一で行う、ここに日蓮聖人のお説きになっておられる、お題目信仰による安心の世界があります。