日蓮は安房国 施陀羅(せんだら)が子也
法華経の御故に捨る事 石を金にかえるにあらずや(佐渡御勘気鈔)
文永八年九月十二日、皆様ご承知のように日?聖人は「龍ノ口のご法難」にあわれます。その後、依智(えち・今の厚木市本山妙純寺様)の本間重連の館に約一ヶ月間留められます。この時旧友であった千葉県安房清澄寺の浄顕房・義浄房のお二人に出されたお手紙が今日ご紹介の『佐渡御勘気鈔』であります。このご文章で日?聖人は二つの大事についてお述べになられます。
一つはご自身のお生れを「施陀羅(せんだら)が子(こ)」とおっしゃっておられることであります。施陀羅とはインドにおける社会階級制度上より更に下の階級の人のことでありますが、日本にはこの制度がありませんので、この階級には当りません。ただインドでは狩猟等を行う人を指してますから、聖人はこの意をとって、ご自身の漁民の出自をお述べになられたと拝されております。と申しましても聖人の出自は漁民と言っても、名主・荘官級に位置する中級漁民層のお子であったと考えられております(日?宗辞典)。この事はお手紙の相手であるお二人、清澄寺で倶に修行した浄顕房・義浄房の日?聖人の出自を御存知のお二人であったからこそ、ありのままを表現なさったのであります。
さて、鎌倉時代の各宗の祖師方の全てと言ってよい方々がみな当時の貴族出身であります。唯一日?聖人だけが一般人であります。お釈迦さまがご自分亡きあと全ての人の幸せを願って説かれた法華経を弘める御役として日?聖人をおえらびになられた最大の理由はここにあります。それは「最下級から上の階級の人々」全ての人々の事を知っている人でなければこの大任はつとまらないという厳然たる事実、このことを私達は強く受け止めなければなりません。
そしてもう一つ、「法華経に命を預けられた」ご生涯。末法の時代に法華経を理解するには、まず法華経の全文を金言・真実・事実と受けとめる「信力」の持ち主でなければならないこと、加えて法華経を真実のままに弘めるためには「命をも捨てる覚悟」が必要であること。このことは法華経中にくり返し説かれていることであり、日?聖人は、この度の龍ノ口の法難はまさしくその表れであること、自分がこれまで説いてきたことの正しさがこの法難によって証明されたこと。このことをまず、清澄寺の旧友に知ってもらい恩師に報告してほしいとの願いが込められていること申すまでもありません。
そして自分の法華経如説修行者としての行動。小湊の浜育ちの自分が大聖釈尊のご遺命を拝するということはまさしく、たとえてみれば〝石が黄金〟に変化したのと同じ大事なのである。このことを深く心に止めおいてほしい。との願いが込められており、七百余年後に生きる私たちにも語られているご教示と拝すべきであります。