釈尊は我等が父母なり
一代の聖教は父母の子を教えたる教経なるべし(法門可申鈔)
今月ご紹介の聖語は、聖人四十八才鎌倉に於て、京都遊学中のお弟子三位房にお与えになられた御文であります。この中で聖人は三位房に対し
「都風の脆弱(ぜいじゃく)、軽佻(けいちょう)の僧になってゆくことを心配、質実剛健、真の求道者、東国の気質を失ってはならない。」(遺文辞典)
と教誡なさっておられますが、平和の世に慣れ親しんでいる私たち現代人へのご注告でもあると私は拝しております。
このご注告をふまえて今月ご紹介の聖語が説かれます。
「教主釈尊は、私たち信徒にとっては父であり母であると受けとめなさい。釈尊ご一代、五十年に及ぶご説法の全ては父母が子供を教え導いた教訓である。わけても法華経というお経はその最たるみ教えである」
このみ教えを受けて先師は
「子、子たらずとも親は親たれ、親、親たらずとも子は子たれ」
と絵ときしておられます。親子ともにその役目を完うしなさいと説かれるのであります。
私の法友に上人がおられます。明朗闊達を絵に描いたようなお上人で、頭脳明晰、言説さわやか、明るく、ほがらか、少々出しゃばり、常に話題の中心に居るかなり目立つお上人、私より少し年下ですが何故か気が合い、年齢を越えて、よき佛法の友として今日に至っておりますが、私は内心「日蓮宗のそれなりのお寺の御曹司」と思っており、私のような北国の島生れとは違うな、と思い続けておりました。先般ふとしたことから身の上話になり、
「私は捨て子、父母は知りません。施設で育ち、あるお上人のお弟子となって僧侶になりました。私は文字通りみ佛の子です。」
私はしばし言葉がありません。世間一般でいうところの暗さは全くありません。むしろ天衣無縫的明るさを持つお上人です。この明るさ、この姿、どこからきているのか、結論は一つ「佛の子」この事しかありません。自らが佛の子となることによって、自分を捨てた父母への思いを心の奥底に秘め、自分は佛さまの子である。仏さまが父であり母である。ならば佛さまが説いておられるように、明るく、ほがらかに、お題目にお守りいただきながら強く生きようとされている。法友K上人のことを私はこのように理解しております。
そして思うのです。法華経お題目のすごさ、有り難さを。更には、私は幸せ者だとも、四十二才私八才の時に亡くなったが父を知っているし、写真もある。五十六才大学二年の時に亡くなったが母の全霊は我が身に遺っている。この幸せを、K上人同様佛の子の一人として明るく人々に説いてゆくべきであると。今は「佛の子」として生きよ。聖人は今月の聖語を通してこのように呼びかけておられるのです。