菅野貫首写真

佛経と行者と 檀那と三事相応して 一事を成ぜん(問注得意鈔)

平成三十一年の新春を寿ぎ、五千有余のご寺院、教会、結社の各聖人、檀信徒の皆様、十方有縁の信徒の皆様に新春のおよろこびを申し上げ、皆様の御清福を御祈り申し上げます。 小衲
昨年五月、はからずも第五十四代日蓮宗管長を拝命いたしました。とより浅学非才の身、その人に非ずと存じておりますが、佛祖のご命令と受け止め、不惜身命精進いたす覚悟でございます。どうぞよろしく御願い申し上げます。 合掌

 年初に当り皆さまにご紹介申し上げます聖語「問注得意鈔」は文永六年五月九日、宗祖日蓮大聖人御年四十八歳、鎌倉在住の時、若き鎌倉武士富木常忍氏と同志の三人が仲間とおぼしき武士から信仰上の問題で問注所に訴えられたことに対しての心構えを説かれたお手紙であり、御真蹟は中山法華経寺さんに格護されております。
 本文で日蓮大聖人は「訴訟の事はそなたたちの方が十分に承知の事であると思うが、 〝駿馬にも鞭うつ〟の理りもあり申し上げる」とおっしゃっておられ、実に細部にわたってのご注告をなされております。例えば「相手の雑言にのせられず、 三度までは我慢、 顔色を変えず平静に答えなさい」とのご注告。かく言う私、寮監時代に学生から「瞬間湯沸器」と綽名された者としては今日に生きるご注告と拝受しております。
 「み佛の教えは、今現在如何に生きるか、という事を説いておられるが、日常の生活は刻々と変化している。その変化にあやまりなく対応してゆくための道を、み佛のみ教えに従って説いてゆくのが行者法華経修行者である私日蓮の役目である。そしてその教え、導きによって職業を完うすることの出来た人、それが檀那(檀信徒)である。み佛の教え。それを説く人。信じて職を全うする人。この三者が一体となって物事は成就し、国・社会・家庭は安穏なのである」
 今月の聖語を私の領解で紹介させていただきました。このご教示を今日の人工頭脳時代に当てて考えてみます。たしかに人工頭脳の発達はすばらしく、人間に代わって何でもする時代がすぐそこまで来ているやに伝えられております。しかしその中に在っても「人間の心」に至ることは困難だとも言われておりますが、人工頭脳は人間を助ける役目に止めるべきであります。さてそうなりますと人間である私たちの「心」が浮び上ってきます。心を平安に保ち続けるにはどうすべきか、日蓮大聖人は「妙法五字の光明に照らされて本有の尊形となる」つまり常に自分が佛さまに見守られている事に気づき、み佛のみ手の中で生活させていただいている。このことを心の奥底にしっかりと定めなさいとご教示下さっております。
 「心にお題目の光明を」今年はこのこころで過させていただきたく念じております。


合掌

日彰