わざわいは口より出でて 身をやぶる
さいわいは心より出でて 我をかざる
(重須殿女房御返事)
平成二十九年も残すところ一ヶ月。一年を長く感じられた人、あっと言う間であった人、時の長さは同じでも受ける人の心次第で長くも短くもなります。かく言う私は「あっと言う間」の方で『この一年何をした』『何を学んだ』『どれだけ修行した』かと反省しきり、であります。
さて、今月ご紹介申し上げております重須殿と申しますのは、今の静岡県富士宮市北山のことで、土地の名です。正しくは重須に住しておられた「石川新兵衛入道道念」と言う方のことであります。「女房御返事」とございますから「石川道念入道夫人」へのご返事ということであります。
『むしもち百まい、菓子ひと籠たしかに拝受、御宝前にお供えいたしました云々この世における災難(わざわい)のもとをたずねてみると、それは何気ない、あるいは不用心なひと言からもたらされていることに気づくべきであります。
反対に、人の幸せのもとを探し考えてみると、常日頃から、相手を思いやる心、温かい言動がその源になっていることに気づかれることでありましょう。それ故平素の言動には重々気を配られるよう祈っております。』
このお手紙はお正月を迎えられる身延山の日蓮聖人に、むしもちとお菓子をご供養なされたことへのご返事の中で述べられたご教訓であります。
ところで先の衆議院選挙で華々しく出発の声を挙げ、人々から多いに期待されたある党が党首の「たったひと言」で大惨敗という結果になりましたこと耳目に新しいところであります。「言葉ってこわいナ」と感じられたのは一人私だけでなかったと思います。
先師は、災難を呼び込むひと言の出処は「増長慢・おごり高ぶる心だ」と教えておられます。私達の心に、俺が私がと言うおごり髙ぶった気持ちがありますと、どうしても言動に出てしまいます。いや言動に出る前に実は顔に出ているのだ。だから本当はそこから気をつけなければいけない。「朝、鏡と向かい合った時今日の私はどうだと反省しなさい」そして気がついたら「その日一日今日は気をつけようと思い定めなさい」とはこれ又先師のご忠告でありますが、先師はもう一つ大事なことを遺しておられます。それは自宅における「朝のお祈りと夕べの感謝」であります。朝、食事の前のほんの「ひととき―今日も無事でありますように」と佛さま・ご先祖さまにお祈りをする。そして夜帰宅したらすぐ「今日一日無事でした。今日は誰れ誰れさんのお世話になりました。今日は何々がありました」と感謝のご報告、時間にして一分もかかりません。朝夕二分のこの祈りの有無が「人生の鍵」これが先師の遺された大事な大事なご教示であります。
昨今は口だけではありません「メール」などというやっかいな「武器」もあります。それだけに我と我が心をしっかりとガードしておくことが大切であります。一年の結び、我が心のヒモをしっかりとしめられることをお祈りいたしております。