明かなること日月にすぎんや
浄きこと蓮華にまさるべしや

明かなる事日月にすぎんや。浄き事蓮華にまさるべしや。法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華と名く。日蓮又日月と蓮華との如くなり。信心の水すまば、利生の月必ず応を垂れ、守護し給うべし
(四条金吾女房御書)

 「法華経というみ教えは譬えてみれば太陽と蓮華である。万物を見るには明かりが必要であるが、それには太陽の光が最も優れている。蓮華は泥沼に生息しているけれども、その泥にけがされることなく清らかさを保っている。清らかさ、気髙さにおいて蓮華に勝るものはない。この二つのこころを表して妙法蓮華と言うのである。
 私、日蓮の名も太陽と蓮華のこのこころから拝受したものである。この名は私の人生。信仰生活そのものである。そのような尊いみ教えであるから、法華経を信ずる者は必ず御守護神がお守り下さっているのである。」
 今月ご紹介申し上げております「四条金吾殿女房」というお方は、その名の示す通り日蓮聖人第一のご信者、四条金吾殿の奥さまのこと。ご夫妻そろって大の法華経信仰者でありました。そう言うご夫妻だからこそ、大聖人は御自らのお名前の由来をお説きになられたのであると拝します。
 日蓮聖人の御名には先に示された二つのこころの象徴。法華経如来神力品に説かれている「日月(にちがつ)の光明(こうみょう)の能(よ)く諸(もろもろ)の幽冥(ゆうみょう)を除(のぞ)くが如(ごと)く、斯(こ)の人(ひと)世間(せけん)に行(ぎょう)じて能(よ)く衆生(しゅじょう)の闇(やみ)を滅(めっ)す」(太陽の光が世の暗闇を除くように自分も又人々の心の闇を除く人となる)というご教示のこころが示されております。このことは聖人の御名前のかわり方を拝することによってよく理解することが出来ます。聖人は幼名を善日丸(ぜんにちまる)(麿(まろ))、清澄に上山して藥王丸(やくおうまる)(麿(まろ))出家得度して是聖坊蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)と名乗られ三十二才の時立教開宗の宣言をなされた時、つまり神力品の実践を誓われた時に日蓮とお名乗りなされました。 それだけではありません。この日、父君には「妙日」母君には「妙蓮」というおん名前をお授けになられます。見方をかえますと「日蓮」の御名前はご両親から一字づつをいただいたお名前であるということでもあるのです。
 この尊いみ教えを伝統として私ども日蓮宗僧侶は「日号」を名乗ります。ちなみに私は「日彰」と名乗っておりますが、父母からつけていただいた名は「亮」でした。中学二年の時伊藤啓昭師匠について出家得度「啓淳」と改めました。師匠から「啓」の字を、父栄淳から「淳」の字をもらってのことであります。平成十七年本山海長寺の法灯を継承して「日彰」として戸籍上も三度にわたって改めました。裁判所でもこの「改名」は認めてのことであります。大聖人のように自らの名の通り行動し、佛天のご加護がいただけるか、生涯の課題であります。名はその人の体(人生)を表すと申します。読者の皆さまは如何でしょうか。


合掌

日彰