日蓮聖人御入山
七五〇年報恩宗門法要

 五月十七日(水) 身延山久遠寺の大本堂において日蓮宗主催による日蓮聖人御入山七五〇年報恩宗門法要が営まれ、菅野日彰貫首が日蓮宗第五十五代管長として大導師を務められました。法要には身延山久遠寺内野日総法主猊下、田中恵紳宗務総長をはじめ、全国本山会・宗務内局各聖ご臨席のもと、全国日蓮宗宗務所長、青年会会員、関係各聖が参列する大法要となりました。
 この法要に先立ち、全国日蓮宗青年会の青年僧が佐渡から鎌倉までの拠点を行脚。さらに五月十一日に鎌倉を出発し、十六日に身延山までの道のりを行脚しました。そして十七日当日は身延山総門から菩(ぼ)提(だい)梯(てい)を昇り、大本堂前まで行脚を行いました。
 文永十一年(一二七四)四月八日、佐渡流罪を赦されて鎌倉へ戻った日蓮聖人は幕府に対して三回目の諫(かん)言(げん)を行いますが受け入れられず、波(は)木(き)井(い)実(さね)長(なが)公の招きで身延へと入山されます。およそ一ヶ月後の六月十七日に庵を結ばれたことから、同日を身延山が開かれたご聖日と定めています。
 日蓮聖人は『波木井殿御書』の中で身延の地を「九箇年の間心安く法華経を読誦し奉候山」と表現され、弟子の教育や檀越への布教に心血を注がれました。しかし身延でのご生活は大変苦しいものであったことが様々な御遺文から垣間見ることができます。それでもなお『波木井御報』にて「墓をばみのぶ沢にせさせ候べく候」と遺言されていることから、日蓮聖人にとって身延という地は特別であり、また今日においても日蓮聖人の神(たましい)が棲(す)みたもう聖地、「棲神(せいしん)の地」として信仰を集めています。
 令和十三年(二〇三一)に宗祖日蓮聖人七五〇遠忌を迎えます。宗祖鶴林の聖地である池上にとっても大変意義深い法要となりました。

  ご苦労様でした
5月の団体参拝

  • 25日 福岡県 瑞泉院 9名