当山第八十二世
恵光院日慈聖人三回忌法要

 去る令和元年五月二十八日、世寿百一歳にて御遷化された、当山第八十二世恵光院日慈聖人・酒井日慈聖人の三回忌法要が五月二十八日(金)本門寺本殿にて営まれました。
 恵光院日慈聖人は第五十一代日蓮宗管長、池上本門寺第八十二世、真間山弘法寺第八十世、池上實相寺第二十九世を歴任されました。中でも当山第八十世金子日威貫首・第八十一世田中日淳貫首と共に戦後の本門寺復興に尽力され、現在の布教伝道の根幹を築かれました。
 前日の二十七日(木)午後三時からお逮夜法要が営まれ、菅野日彰貫首導師のもと遺弟・池上山内寺院・本門寺内局・山務員が参列しました。当日は強い雨が降り、少々肌寒く、まるで天が泣くかのような気候となりました。
 翌日、二十八日の午前十一時から三回忌法要が営まれ、菅野貫首導師のもと参与本山の片瀬龍口寺・本間日恩貫首、大坊本行寺・中野日演貫首、真間弘法寺・鈴木日晋貫首、清水海長寺・中條日有貫首、比企谷妙本寺・鈴木日敬貫首にご臨席賜り、法類委員・遺弟・遺族・池上山内寺院など限られた人数でご回向を捧げました。
 法要後、菅野貫首は挨拶の中で「長らく日慈聖人に御指導をいただいておりましたが、強く思い出されるのは若かった頃の、本門寺文化部時代です。あの時に仰っていただいた言葉が自分の基礎となっています。今でも酒井山主様のお声が聞こえてくるようです」と、当時の思い出と共に、日慈聖人へ感謝を捧げました。
 法要後、鈴木弘信執事長導師のもと本門寺歴代廟に参拝し、前日とはうって変わって晴天のもと、日慈聖人との思い出を胸にご回向を捧げました。

  宗祖日蓮聖人
伊豆法難会

 五月十二日(火)午前十一時より宗祖日蓮聖人伊豆法難会が大堂において菅野日彰貫首導師のもと営まれ、信行会会員が参列しました。
 法要中、菅野貫首はご宝前に進み出て讃嘆文を拝読。日蓮聖人が鎌倉にて不当に捕縛されたこと、着の身着のまま伊豆に連行さるなど、そのご苦労を偲ばれました。また、俎(まないた)岩に取り残された際、命を救い献身的に供養してくれた船守弥三郎夫妻へ宛てた書状から、日蓮聖人ご自身の父母が伊東の地に生まれ変わり現れたと記された一節を読み上げると、聖人のご苦労に思いを馳せ、感謝の念を強くされました。
 また法要後、菅野貫首による法話が行われ、国の政策だけに任せっきりになるのではなく、まず自分自身がどう行動するのかを見直す必要があると訴えられ、世界全体の病魔退散を祈念されました。

  清正公(せいしょうこう)堂再建に向け
地鎮祭を厳修

 五月十五日(土)、清正公堂(三重塔)建立のための地鎮祭が鈴木弘信執事長導師、山口顯辰学監修法導師、修法師四名にて営まれました。
 清正公(加藤清正)は熊本を治めた戦国武将として名高い人物ですが、篤信の法華経信者でした。池上本門寺と縁が深く、中でも慶長十一年(一六〇六)に建立された旧大堂、本門寺の玄関口とも呼べる此経難持坂は清正公の寄進によります。
 建築を担当する千葉県大和田社寺工務店をご紹介いただいた三枝泰英上人、一級建築士・小林幹夫氏、二級建築士・大和田儀巳氏をはじめ関係者が参列し、鍬入れを行いました。
 当面の間、経蔵までの通路が狭くなりますが、どうぞご承知おき下さいますようお願い申し上げます。なお、車の交通安全祈祷は通常通り行っております。

  歌舞伎「日蓮」
千客万来を祈願

 五月三十一日(月)午後一時、大堂において菅野日彰貫首導師、中川法政宗務総長ご臨席のもと、歌舞伎「日蓮」の円満成就と千客万来、関係者の諸縁吉祥を祈る法要が営まれました。
 主演の市川猿之助さんをはじめ、市川門之助さん、市川猿弥さん、市川笑也さん、市川笑三郎さん、市川弘太郎さん、さらに構成・脚本・演出を担当された横内謙介さん、松竹専務取締役演劇本部長の山根成之さん、歌舞伎製作部部長の橋本芳孝さん、歌舞伎座支配人の千田学さんが参列され、公演の成功を祈りました。法要後、菅野貫首からご祈願札を山根成之さんと市川猿之助さんへ授与されました。

  ご苦労様でした
05月の団体参拝

  • なし