惠光院日慈聖人(酒井日慈猊下)
五七日忌法要

 七月一日(月)、池上本門寺本殿において当山第八十二世酒井日慈上人・惠光院日慈聖人の五七日忌法要を厳修されました。
 大導師に菅野日彰貫首、副導師に山口顯辰学監・山村栄慎総務部執事、本門寺役課・学僧出仕のもと、参与法類寺院、山内寺院、遺弟・遺族が参列し聖人の増円妙道を祈りました。喪主を務めた鈴木弘信執事長は謝辞でご参列頂いた皆様への御礼が申し述べられました。
 法要後、朗峰会館にてご供養の席が用意されました。菅野貫首は謝辞の中で「日慈聖人は指揮者のような方で、人緒を育てることに非常に長けた方でした」と御遺徳を讃えました。引き続いて本山片瀬龍光寺の本間日恩貫首のご発声にて献杯を捧げ、日慈聖人を偲びつつ思いで話に華を咲かせました。
 日慈聖人のご遺骨は現在本門寺本院二階の西月の間に御安置し、毎朝のお勤めの後にお経を上げております。また七日ごとに内局執事が導師を務めご回向を捧げております。本葬儀まで引き続きご回向をさせて頂きます。
 九月三日(火)の十一時より檀信徒の皆様との本葬儀、四日(水)の十一時より寺院の皆様との本葬儀を執り行います。両日とも会場は本門寺本殿となります。

  全ての御魂に報恩感謝
盂蘭盆施餓鬼会(うらぼんせがきえ)法要

 七月七日(日)、池上本門寺本殿にて大導師に鈴木弘信執事長、副導師に山口顯辰学監、山村栄慎総務部執事のもと盂(う)蘭(ら)盆(ぼん)施(せ)餓(が)鬼(き)会(え)法要が営まれました。
 盂蘭盆施餓鬼会とは、餓鬼道で苦しむ衆生に特別なお経文や食事を施して供養する法要の事で「救抜焔口陀羅尼経(ぐばつえんくだらにきょう)」というお経典が由来となっています。釈尊の十大弟子の一人である阿難(あなん)尊(そん)者(じゃ)が瞑想していると、痩せ衰えて枯れ細り、口から火を吹き、髪は乱れ、喉は針の先のように細い醜い姿をした一人の恐ろしい餓鬼があらわれました。焔口と名乗る餓鬼は阿難尊者に「三日後に死んで、我々と同じ恐ろしい餓鬼道に落ちる」と言い放ちます。驚いた阿難尊者は釈尊に救いを求めたところ、釈尊は「その苦から免れたければ、三宝(仏・法・僧)に供養しなさい。また無数の餓鬼たちに食物をほどこして供養した功徳により餓鬼も救われ、その功徳によってお前も救われるだろう」と教わり、寿命を延ばすことのできたと伝えられています。施餓鬼法要で特別な作法や飾り付けにお供えをするのはこのためです。
法要中、参列者は五色の施餓鬼幡を立て、水向供養とお焼香を捧げて一切の精霊に供養を施しました。この法要を通じ、施しの心で接する心をより深めていただければ幸いです。

  お寺に泊まろう
第二十三回一泊てらこや

 毎年大人気の一泊てらこやが六月十五日と十六日の二日間で開催され、小学校三年生~六年生までの子ども達三十八名が集まりました。
 初日は大堂で校長の山口顯辰学監導師のもと開校式を行い、竹箸作り、お題目を書写したお守り作り、そして合掌、礼拝やお焼香といった仏事作法を勉強しました。他にも修行の時間として本殿で唱題行やおしゃべりせず黙って真剣にいのちと向き合う食事の時間など、日常生活では体験できないことに子ども達は興味津々でした。二日目は朝勤参列に始まり、班ごとに境内を巡って本門寺について学びました。一泊二日の集大成として校長の山口学監導師のもと大堂にて閉校式を行い、ひとりひとりに修了証が手渡されました。
 この一泊てらこやを通じ、子ども達が心身ともに成長することを心より願っています。

  東南アジア参拝団
竹簡の壽量品を奉納

 六月十四日(金)シンガポール題目寺(大島啓慈上人)、ジャカルタ蓮華寺(エルフィナ妙布上人)、ペナン一念寺(伊藤顕允上人)の合同参拝団三十名が本門寺を参拝し、竹にお経文を彫った木簡の壽量品をご奉納下さいました。この場をお借りし、篤く御礼申し上げます。

  ご苦労様でした
6月の団体参拝

  • 6日 静岡県 清水仏教婦人会 84名 / 静岡県 實相寺 81名
  • 7日 宮城県 高松寺 16名
  • 14日 東南アジア参拝団 29名
  • 20日 神奈川県 法勝寺蓮華の会 10名
  • 21日 北海道北部宗務所 94名