大僧正酒井日慈猊下
惠光院日慈聖人仮通夜・密葬儀

 五月二十八日(火)の早朝、お山に突然の訃報が舞い込みました。
 日蓮宗第五十二代管長、当山八十二世、本山真間山弘法寺第八十世、妙玄山實相寺第二十九世、惠光院日慈聖人・酒井日慈聖人が世寿百一歳を今生の一期として遷化されました。
 令和元年五月三十一日(金)十八時より本殿にて仮通夜、六月一日(土)十一時より本殿にて密葬儀、桐ヶ谷斎場にて荼毘式、本殿にて収骨法要を厳修しました。両日とも大導師に菅野日彰貫首、副導師に山口顯辰学監、山村栄慎総務部執事、本門寺役課・学僧十名が出仕し、中川法政宗務総長、持田日勇身延山総務、松本慈恵身延山副総務、参与法類寺院、本山会各聖、日慈聖人遺弟・遺族、有縁の各聖、檀信徒、総勢五百名が参列し、聖人の増円妙道を祈りました。喪主は鈴木弘信執事長が務めました。
 酒井日慈猊下は第八十世金子日威猊下のもと現在の布教部の前身となる文化部部長、本門寺執事長として奉職され、特に青少年教化活動を中心に御尽力されます。
 また宗派を超えた布教活動「南無の会」を設立、現代の辻説法として原宿や銀座の喫茶店で法話を行い大勢の若者へ仏教の素晴らしさを伝えました。
 平成三年に千葉県真間山弘法寺へ晋山、平成十二年に池上本門寺へ晋山し、平成二十七年に退隠され後図を現灯菅野日彰貫首へ託されました。
 菅野貫首は回向文で「池上の佛縁をもって生を受け、池上の法縁によって剃髪染衣。池上にて弘法、弘通に精進。池上にて佛法を守らる。即ち池上實相寺第二十九世、真間山弘法寺第八十世、当山八十二世として、全身全霊をささげらる。我等同門の緇(し)素(そ)の規範たり」と日慈聖人の御遺徳を讃えました。
 なお九月四日(火)十一時より檀信徒の皆様との葬儀、四日(水)十一時より寺院の皆様との本葬儀を予定しております。

  信州に伝わるお題目の精神
長遠院日樹聖人墓所参拝

 五四月十五日(水)から十七日(金)にかけ、菅野日彰貫首が池上本門寺復(ふく)歴(れき)第十六世長遠院日樹聖人の墓所と、墓所を守る長野県飯田市長源寺(早川英章住職)へ参拝しました。本年は天台宗へと改宗された長野県伊那郡の隣政寺に参拝し、日樹聖人が信州へ伝えられた法華経・お題目の足跡を辿りました。
 長遠院日樹聖人は江戸幕府による不受不施(ふじゅふせ)弾圧によって本門寺第十六世を除歴のうえ信州伊那へ流罪となります。その後、昭和六年池上第七十四世酒井日慎貫首の代に復歴し、第七十七世石川日教貫首の代より毎年本門寺の貫首が墓参しています。
 菅野貫首は長源寺にてご宝前にて法味言上の後、日樹聖人の為に卒塔婆を浄書、日樹聖人墓所にて墓守をする「池上古跡保存会」の会員と共に報恩法要を営んだ後、懇親会に参加し親睦を深めました。また、菅野貫首は四条金吾頼基公の供養墓に参拝し法味を捧げ、法華経・お題目の教えを守って下さった頼基公へ感謝の誠を捧げました。
 翌日は天台宗隣政寺へ参拝しました。隣政寺は鎌倉時代に日得上人によって開かれた日蓮宗寺院でしたが、日樹聖人没後天台宗へと改宗しました。その後、飯田仏教会保育園ホールにて菅野貫首ご親教を開催し、飯伊日蓮宗寺院法興会、連合護持会、協和護持会、檀信徒、総勢百五十名が集まりました。
 池上と信州を繋ぐお題目の絆がより深まったことを実感する素晴らしい時間となりました。

  ご苦労様でした
4月の団体参拝

  • 16日 佐賀県 妙顯寺 23名
  • 18日 北海道 妙廣道場 7名
  • 19日 東京都 養泉寺 21名
  • 20日 山形県 日照寺 24名 / 宮崎県 本永寺 13名
  • 21日 岡山県 妙教寺 22名