立教開宗第七六四年慶讃
法華経千部読誦会(どくじゅえ)大法要
四月二十七日(水)より二十九日(金)までの三日間、本門寺大堂において立教開宗第七六四年慶讃・法華経千部読誦会大法要が営まれた。
法華経千部読誦会は立教開宗の日である四月二十八日を中心に、全国各地から僧侶・檀信徒が集い、法華経を千部読誦する慶讃大法要で「千部会」と呼ばれている。『続日本紀』によると、わが国では天平二十年(七四八)七月、聖式天皇が先帝元正天皇の崩御に際し、法華経千部を書写して供養したことがはじまりで、平安、鎌倉と時代を経て次第に全国へ広まり、特に法華経を正依の経典とする天台系の寺院で盛んに行われた。
日蓮宗で千部会がつとめられた記録としては、日蓮聖人第百五十遠忌の永享三年(一四三一)十月四日から十三日までの十日間、京都本国寺が諸末寺を登山せしめて修したのが、最も古いものとされる。近世に至っては、京都本圀寺、身延山久遠寺、中山法華経寺、鎌倉妙本寺、池上本門寺などの各山に於て営まれるようになった。
池上本門寺の千部会は明和四年(一七六七)頃には年中行事として定着し、江戸市中の各町内に千部講中がつくられ、それらの各講中が施主となって盛大な法会が営まれていた。
千部会一日目となる二十七日は、菅野日彰貫首導師のもと、午前十時より檀信徒各家先祖代々之諸霊追善法要が、午後二時からは奉賛会各家先祖代々之諸霊追善法要が営まれた。法要の合間の十二時半からは「私が変われば世界が変わる」と題し、港区一乗寺住職・金子和正師による法話が行われた。
二十八日は菅野日彰貫首導師のもと、午前十時から宗祖御更衣(ごこうえ)法要が営まれ、武相御召講(ぶそうおめしこう)によって日蓮聖人の襦袢と白衣が奉納された。法華経巻第五・第六が読誦される中、御(お)衣(ころも)が冬物から夏物へとお召し替えされた。また、前日と同様、十二時半からは「私たちはどこへ行くのでしょう」と題し、大磯町延台寺住職・中島源吾師による法話が行われ、午後二時からは立教開宗慶讃法要が営まれた。
最終日にあたる二十九日には、午前十一時から子供たちの健全育成祈願法要が、午後二時からは世界平和祈願天童音楽大法要が営まれ、十六名のお稚(ち)児(ご)さんが境内を行列した後に法要に出仕。ご宝前にお花を供えた。お稚児さん代表として、池町咲来さんが祭文(さいもん)を大きな声で読み上げ、立教開宗の喜びを表した。
菅野貫首
長遠院日樹上人墓所参拝
池上本門寺復歴第十六世長遠院日樹上人の墓所参拝のため、四月十九日から二十日にかけて、長野県飯田市長源寺(早川英章住職)へ菅野日彰貫首が参拝した。
長遠院日樹上人は本門寺客殿や庫裡の復興の他、比企谷妙本寺の客殿を再興するなど両山へ大きく貢献したものの、幕府との対立により本門寺第十六世を除歴。信州伊奈へ流された。その後、池上第七十四世酒井日慎貫首の代に復歴、第七十八世石川日教貫首の代より毎年四月十九日に墓参している。
菅野貫首は日樹上人の墓所を守る池上古跡保存会会員と共に報恩法要を営んだ後、懇親会に参加。菅野貫首は、元気なうちは毎年参拝することを約束された。
その後、菅野貫首は四条金吾頼基公の供養墓を参拝。この地から身延の日蓮聖人へと品物が送られていたと伝えられており、信州の地で脈々と受け継がれる信仰を身近に感ずる二日間となった。
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ご苦労様でした
4月の団体参拝
- 1日 北海道 妙傳寺 15名 / 東京都 立源寺 4名 / 長崎県 妙法寺 19名
- 6日 北海道 長遠寺 12名
- 11日 (株)マコト研修 4名
- 14日 長崎県 法妙寺 82名
- 15日 愛知県 松延寺
- 17日 東京都 妙源寺 19名
- 25日 宮城県 妙法結社 13名
- 29日 山梨県 身延山久遠寺新入生霊跡行脚隊 51名