朝勤でのできごと
九月のある日のできごとです。大堂に於ける朝勤にて導師を務めていました。
池上本門寺の日蓮聖人と向き合う朝のお勤めは、何度経験しても緊張し、自身の信仰心を問いながら七百五十年の歴史の重圧をひしひしと感じ受け止めつつ、池上のお祖様に、「朝勤とは言え、私ごときが導師を勤めることをお許しください」と念じながら法要を営むのが、私の正直な毎度の心情です。
その日の朝、私なりに緊張しながらも誠意を以て導師を努め、式次第もつつがなく進み、お祖様と正面に向き合いながら百遍のお題目を唱えていた時です。
大堂の東側より朝日が堂内をひときわ明るく照らし始めました。その陽の光は、なんともいえず温かく感じ、堂内一面をそして出仕している僧侶や参拝者をも優しく包み込んだのです。
法華経の神力品に「如日月光明能除諸幽冥斯人行世間能滅衆生暗闇」という文が、また涌出品には「不染世間法如蓮華在水」という文があります。そして日蓮聖人は、『四条金吾女房御書』に「明らかなること日月にすぎんや。浄きこと蓮華にまさるべきや」としたためられています。
「日月」は末法濁世をてらす「光明」、「斯人」は末法の導師を意味します。末法濁世の泥土に咲く「蓮華」は正に地涌の菩薩の出現と解釈できます。
その時「執事長、これからですよ。これからも池上本門寺が光明に永く照らされるよう、役課職員学僧一丸となって努力しなさい。」と、厳しいお祖様のお導きと明るく輝かしい未来に向けてのご加護を直接授けて頂いたような、ありがたく身の引き締まる思いがした朝勤でありました。
これからも「日々精進」の覚悟です。
合掌
執事長 木内隆志