「鬼…?」

本年令和3年の節分は2月2日です。例年より1日早いのは暦のずれによるもので124年ぶりの事と聞きました。
節分は、もともと、立春、立夏、立秋、立冬の四季の分かれ目を意味した言葉ですが、特に立春の前日だけを呼ぶようになりました。これは二月の節分が立春正月の前日で一年の境である事や、気候が冬から春に移り変わる時節から特別な意味を持って考えられた事によります。立春正月は一陽来復して冬から春になる、節分は翌日から春になる一年の最後の日と考えられ、新たな年を迎える前に、邪気を祓い、幸せを願う行事であります。「鬼は外!福は内!」のかけ声と共に、豆をまいて鬼を祓いますが、鬼とは何か…実はもともと鬼の姿は決まっておらず、眼に見えない悪いものを「鬼」と呼ぶそうです。
 今年の池上本門寺の節分は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、練行列と特設大舞台での豆まきは中止とさせていただき、規模を縮小して執り行いますが、毎年、節分追儺式法要にて菅野日彰貫首様がご法話の中で、「鬼は心のなかにいます。この法要で鬼を成佛させ、清らかな心身になったうえで、外で待っている人たちに福を届けてください」とご教示くださいます。
 鬼ばあちらこちら゙どこにでもいて、私たちの心の中に入り込んできたり、自ら鬼を生み出したりしています。その鬼を成佛させて清らかな心身にして良い心で福を呼び込み、皆に福を届ける事が節分です。炒った豆で鬼を成佛させるのはせっかく撒いた豆が生豆では、すぐに芽が出てしまい叶いません。悪い鬼が育たないように炒った豆を使うとか………
また、『鬼神(きしん)は常に享(う)くるなし克(よ)く誠なるに享(う)く』と書経にあります。
ここでの、鬼神は神佛を言います。神佛はいつでも言う事を聞き届けてくれるものではなく、誠なる者の祈りを見守ってくれるとあります。同じ『鬼』が付いて鬼神=神佛を表しています。やはり『鬼』は心持ち次第で鬼(邪気・悪い心)にもなり、佛(清らかな心)にも変わる表裏一体なのでありましょう。私たちの心の鬼は「煩悩」によって育ちますが、それの成佛を誠に祈り、神佛に浄化させ清らかな心根でいたいものです。節分に限らず、四季の節目、年の節目、月の節目、日の節目、時の節目、様々な節目を意識しながら常に心の『鬼』を『鬼神』に保てるようにありたいと願います。
 新型コロナウイルスという最強の鬼を皆さんの誠なる祈りで福に転ずる事を重ねて祈念申し上げます。

合掌

宇澤淨進