努力出来る能力
3月11日は東日本大震災が発生した日であり、あの日から7年が経過した。
今なお、全国規模で震災地の復興途中であり、犠牲になられた方々には、全国各地の寺院等で供養会が行われていると聴く。本門寺でも、春秋の彼岸会及び施餓鬼会には毎年追善供養を続け、3月11日には別途に法要を営んでいる。
1月31日の某全国紙の新聞に、福島県富岡町の真言宗寺院の住職の奮闘活動が紹介されていた。「離散の檀家回り50万キロ」という見出し記事である。
上人は寺院に生まれたが、5歳の時、父である前住職が遷化された。急遽、母親が尼僧となって、寺を切り盛りすることになった。そんな母の苦労を見て育ったので、20歳で覚悟を決め、仏門に入門したという。
震災による原発事故に遭遇したのは、結婚をして二人の娘に続き長男にも恵まれて、10か月が過ぎた時であり、上人が30歳であった。震災後、福島を出て埼玉・岐阜等を転々として、2か月後に山梨で落ち着き、布教の拠点とした。
この拠点からの活動が想像を絶するものである。車を走らせ、避難所や仮設住宅を回って檀家を探し続けた。避難中の檀家から法要の依頼が入れば、静岡や滋賀にも出向いた。時間を見つけては福島の自坊に行き、境内の草取りや動物に荒らされた本堂・庫裡等の掃除を行った。三年前に、水戸市の借り上げ住宅に転居したが、長距離移動の生活は続いた。そして昨年、富岡町の大半の地域で避難指示が解除されたのを機とし、単身で自坊での生活を始めた。原発事故後、車で走り続けた距離は、何と約50キロ、地球12周以上であった。富岡に戻った檀家は10軒程である。このような中にあっても、2022年迄に、本堂・客殿の再建を志しているという事である。一方、家族は水戸にて生活をしている。息子は水戸で小学生になり「なんでパパはいつも家にいないの」と言っている言葉を聞くと、何とも思いやられない気持ちになるという。
富岡の道路沿いの風景は、雑草に覆われた家・積み上がる汚染土、街をうろつくイノシシ等、胸を痛める事ばかりで、原発事故前とは別世界で見る影もない。この様な状況による重圧は並大抵でなく、想像を絶するものであろう。この状況に目を背ける事なく精進を続けて頂きたいと、節に願うばかりである。このような困難に立ち向かい前進しようと思う気持ちを貫く者には、必ず、諸天のご加護があるはずである。様々な困難に立ち向かい、努力が出来るという事は、大切な能力である。この上人の気概・行動力には敬意を表する以外にはないが、私達が様々な状況において、問題を乗り越えて行こうと発する、「気力」が大切である。更に、その「気力」により『努力出来る能力』を発揮することが、最も肝心である。