―祈るこころ― 「節分」

 「福は内、福は内、鬼は外」の掛け声で豆をまいて「邪気」を払う『節分』。皆さんは、この節分が年四回あることにお気づきですか?
『節分』とは季節を分ける事を意味する言葉で、各季節(春・夏・秋・冬)の始まりの日、立春・立夏・立秋・立冬の前日を言います。因みに今年は二月四日が立春、五月五日が立夏、八月七日が立秋、十一月七日が立冬となります。
ですからその前日がそれぞれ季節を分ける『節分』となる訳です。
それではなぜ春の節分に豆をまくようになったのでしょうか?
前述の通り、一年を春夏秋冬の四季に分けるのはご存じの通りですが、この四季の一つをさらに六つの節気に分けて二十四の節気を立てます。
例えば春は立春、雨水、啓蟄(けいちつ)、春分、晴明、穀雨の六つで、私たちが普段ニュースや新聞で耳や目にする、夏至、大暑、秋分、冬至、大寒などもその二十四節気の内の一つです。
一年二十四節気は、立春から始まって大寒の末日、即ち立春の前日である節分に終わり、又再び立春から始まるという陰暦の暦法によっています。
つまり、立春が正月元旦、そしてその前日である節分が一年の終わりである大晦日(年越しとも)となる訳です。
昔より宮中では大晦日の夜、年越しの行事として疫(やく)を駆逐する、厄除けの行事が行われてきました。それを追儺(ついな)といい、かつては葦の戟(ほこ)や桃の杖で音を鳴らして疫鬼を追ったり、桃の弓と葦の矢で鬼を射るという行事で、今のように豆を撒く事はありませんでした。
豆まきは、豆うちといって「宇多天皇」(八八八年)の御代に、鞍馬山の鬼が都に出てきて色々な悪さをするので、三石三斗の豆を投げつけてこれを追い払ったという言い伝えが在り、諸説さまざまですが、節気の変わり目の節分と、年越しの厄払いの追儺の行事が重なり合って、今日の節分の豆まきとなったのです。
余談ですが、その豆まきに豆を使うのは「豆」は「魔滅」に通じるといわれ、また煎った豆を使うのは「魔目」、つまり魔の目が出ないようにとも言われています。
面白いですね。

合掌

伊藤海祐