祈るこころ 『お盆』

 私が住職をしている東京の下町では、七月に入ると「朝顔市」に始まり、「ホオズキ市」・「風鈴市」と夏の風物詩が次々と催されます。
 この七月は、東京の「お盆」月でもあります。そもそも「お盆」とは、亡きご先祖を我が家にお迎えして供養する行事で、古くから行われている日本の伝統行事です。本門寺も七月七日に『盂蘭盆施餓鬼会』の法要を修し、十三日から十六日にかけて檀家各家にお盆の棚経に伺います。
「お盆」は「盂蘭盆(うらぼん)」と言い、その語源である『盂蘭盆経』に由来するものです。その内容とは、仏弟子である目連尊者の亡き母は生前に犯した罪業により餓鬼道に堕ちて苦しんでいました。目連尊者は釈尊の教えに従い、夏安居(げあんご)の終わる七月十五日に多くの修行者に百味の飲食(おんじき)を供養し、その功徳により餓鬼道の母を救うことが出来ました。
そのことが仏教と共に日本に伝わり、日本古来の魂祭りの風習と混ざり合って日本のお盆行事となったのです。
十三日が迎え盆、夕方、門口で焙烙(ほうろく)に麻幹を炊きます。この火は精霊が戻ってくる目標であり、また障りを払う浄火でもあります。そして、その日を取って精霊棚(仏壇)のロウソクに火を灯します。
胡瓜の馬と茄子の牛は、精霊の乗り物で、馬で早く来る様、牛でゆっくり帰る様にとの意味があります。
果物、お菓子等のお供え物と、お皿の上に蓮の葉を置き、そこに茄子を賽の目に刻んだ「水の子」と水を入れて、禊萩(みそはぎ)の小枝に水を含ませて「水の子」に注ぎます。「水の子」は、餓鬼道に堕ちた霊のための施食(せじき)で、洗米や瓜を混ぜることもあります。禊萩で水を注ぐのは、灑水(しゃすい)といって水の供養と水による浄めを意味します。
こうして精霊をお迎えしてお線香を上げて亡き親やご先祖のお陰で私たちが今あることに感謝し、心から供養します。また、一家が精霊棚の前に集まってそれぞれの近況を報告するのもお盆の大切な心です。
十六日(地域によっては十五日という処も)には、精霊棚(仏壇)にお参りをし、門口に用意した焙烙の麻幹に火をつけ精霊をお送りしてお盆が終わります。
全国的には旧盆(八月盆)の地域が多いのですが、これは明治時代初期、政府が西洋の近代制度を取り入れる一環として、それまでの太陰暦を廃止し、太陽暦(グレゴリオ暦)を導入した時期に生じたタイムラグによってのことのようです。
東京は七月盆、様々な夏の風物詩が催される中、そのどれもが「お盆」と重なり合った行事であることに、その大切さを見つけましょう。

合掌

伊藤海祐