写経の功徳
みなさんは写経を体験したことはございますか?
写経とは読んで字のごとく〝お経を写す〟修行です。
お経はお釈迦さまが「こういう生き方をして下さいね」と語りかけて下さった言葉をまとめたものです。
つまり、仏さま目線で説かれた生きるヒントを書き写しているのです。
実際に写経を行った人が、こんな感想を寄せてくれています。
はじめ、わたしは法華経に説かれている内容を聞いた時、余りにも巨大な話の連続なので『信じられない!信じられない!』と悲鳴をあげ続けておりました。
しかし、回を重ねるにつれて、わたし自身がその世界に引きこまれてしまい、とうとう時間的感覚が変わってしまいました。
変な言い回しですが、釈尊が涅槃に入られたのは去年のことであり、法華経を最も大切にした日蓮聖人が居られたのは先週のことではなかろうか……などという感覚をもたせていただけるようになったのです。
そうなってくると、法華経で述べられている釈尊のお言葉が、直接わたしに語りかけて下さっているようにも感じられてきたり、十大弟子の舎利弗(しゃりほつ)や摩訶迦葉(まかかしょう)が兄弟子のようにも思われたりして…。実に不可思議な、そして何とも言えないほど有り難い世界に遊ぶことができるようになりました。
これは、法華経を何百回音読しても、あるいは解説書を繰り返し読んでも入ることのできない世界ではなかろうかと思います。一字一字を拝みながら自分の手で書くことによってのみ入ることのできる世界だと思います。
また、わたし自身がどこから来て、この世で何をして、そしてどこへ逝くのか?ということも解って来るように思います。
法華経には『今、法華経を聞いている者は前世でも法華経を聞いていたのであり、法華経を聞いた功徳で今生において、この法華経の教えを聞くご縁の中に生まれてきたのだ』と書かれてあり、また更に『前世に法華経を聞いて善根を植え、本来は仏の国に生まれるべきところだが、この五濁の悪世の人々を憐れんで、わざと願ってこの娑婆世界に生まれてきたのがお前たちだ』とまで示されているのを写経しているうちに、そう信ずるようになってしまいました。これもほんとうに有り難いことだと手を合わせています。
これらも一字一字をたどりながらの写経によってのみ頂戴できる有り難さだと思います。
仏さまの言葉を書き写し、自分自身の心に銘じてゆくのが写経です。
本門寺では毎月最終日曜日の午前9時から「法話と写経の会」を開催しています。感想を寄せてくれた方もこの会に永いこと参加されているおひとりです。
一字一字をたどりながらの写経行によって得られる有り難さを皆さんも体感してみて下さい。