「生涯現役、臨終定年」

私が長いこと心から尊敬し、宗派を越えて仏教を多くの人に生きる力としてもらいたいとの趣旨のもと活動している南無の会の会長を長年務められた松原泰道先生は百一歳で亡くなられました。法華経についての著作も数多くあります。訃報を聞いて巨星地に落つの思いを多くの人が抱き、私もまたその一人でした。
 その松原先生が八十歳を過ぎた頃からよく言われていたのが冒頭の言葉です。このことを先生はよく「独楽(こま)の舞倒れ」と表現され、「松原は話をしていたが突然声が聞こえなくなり、近寄ってみたら亡くなっていた・・・そのような今生のしめ括り方が私の望みです!」とよく言われていました。実際に九十歳を過ぎても一日数回法話をされたり、百歳近くなり、足がご不自由になるまで全国を東奔西走され、亡くなる数日前まで車椅子でお話しに出向かれておられました。まさにご自身がおっしゃっている通りに生きられ、かつ人生を締めくくられたのです。
 私がある大きな講演会の司会をしていた時、先生を紹介し舞台の緞帳が開いても先生が合掌したまま固まって一言も言葉を発せられなかったことがありました。私は先生が日頃おっしゃっている通りになったのかと一瞬焦り、おそるおそる近づいて声をかけると「あっもう話してもいいの?」と言われ、すぐにお話しを始められました。もうすでに耳と目が少し不自由になっておられ、私が「それでは松原先生お願いいたします!」と言ったことも、緞帳が開いたことも気づいておられなかったのです。私は安堵の胸を撫で下ろしました。
 松原先生はまた亡くなる数年ほど前から「私が亡くなるその日は地獄で説法する初日です!」と言っておられました。ある人が「なぜ地獄なんですか?」とお尋ねすると「地獄じゃなかったら、あなたにまた会えんでしょう!」と即座に答えられました。いかにも仏法(法華経)を深く極めた禅の老僧らしいウィットに富んだやり取りに私は心の中で拍手喝采でした。
 定年退職して「もう、私にはやることがない」なんって言っている御仁がいたら、仏さまからの使命を常に感じつつ生涯を終えられ、かつ次の生での己の役割をも確信しておられた松原先生の生き方に新たなる年を迎える時節にあたり、ぜひ学んでいただきけらばと思います。私も松原先生の教えと、なによりもその日々のあり方を見本として今後も精進したいと内心念じているところです。
 間近に迎える新玉の年、皆さま方にもそのようなことを改めて思いつつ、本門寺に初詣をしていただければと願っています。

合掌

野坂法行