お年賀と盆賀

私の自坊は栃木県南部の農村地帯で、干瓢(かんぴょう)の産地です。干瓢は、江戸時代中期に近江の国(滋賀県)より鳥居忠英公が壬生藩にその栽培を伝えたとされて300年の歴史があり、全国の95%が生産されています。自坊は元数件の檀家数であったので、地元地域の支えで護られてきた寺院です。その為、正月とお盆(月遅れ)には100数件の近隣の家を回ります。正月は1月4日に年始のご挨拶に各家を回ります。お盆は御棚経と申しまして、各家を回り精霊棚の前でご回向いたします。どちらも、志のお布施を頂いてきます。正月は熨斗袋に『お年賀』とありお盆は『盆賀』と有ります。全ての家が同じ様に記載されている訳でありませんが、多くの家が正月・お盆共に赤の熨斗袋です。
 正月・盆等の地域の「しきたり」は、その家の習わしとして、年長者より代々語り継がれていくことであり、理屈ではないのです。
 元々、お盆もお正月も仏教と祖霊信仰が結びついた行事でありました。33回忌を過ぎた御霊は先祖の仲間入りをして、「ご先祖さま」が「歳神さま」として、各家に帰って来られると言われる説があります。これは、33回忌までの先祖さまはお盆に帰って来られ、33回忌を過ぎた先祖さまはお正月に帰って来られるということです。しかし乍ら、迎える者としては、お盆の場合には33回忌を過ぎた先祖も一緒にお迎えするのが人情のようです。新しい仏さま(新盆)の年は特別ですが、それ以外の年は、熨斗袋に『盆賀』と書かれていることに妙に納得できます。
 テレビ・新聞・雑誌を始めとする情報化の時代と違い、狭い地域間での交流が中心の時代では、各家の習わし、地域の習慣により生活が営なまれていたのです。理屈では理解できない大切さが含まれています。

合掌

佐山泰典