華はいのちの象徴
春はいろいろな花々が咲き競い、種々の生命が燃え立ち、私たちの気持ちもウキウキする素晴らしい季節です。そういえば、法華経にも「華」という字が使われています。この「華」は蓮の花のことで、私たちの日々のあり方を象徴しています。
蓮は日の届かぬ泥田の中に根を張り、茎を伸ばして葉をつけ光合成をし、やがてその泥に染まらない純白の華を咲かせます。「華はいのちの象徴だ」とはよく言われるところですが、妙法蓮華経という名前にはお釈迦さまの教えによって、今を生きているひとびとが、それぞれ蓮の華のように泥に染まらず輝いて、その人らしく生きてほしいというメッセージが込められています。
いろいろと煩わしいことのあるこの現実社会は、さながら泥の中のようです。そんな泥の中にあっても、埋没することなく仏さまから与えられた使命を全うしていく前向きな生き方をされたのが日蓮聖人です。ご自身のお名前に「蓮」という一文字を取り入れたのも、泥に染まらずに生きようという決意表明と言えるでしょう。
置かれた場所で咲く
最近こんな言葉に出会いました。「置かれた場所で咲きなさい!どうしても咲けない時は根を下へ下と降ろして、根を張るのです。」(岡山ノートルダム清心学園理事長・シスター渡辺和子)
花は生まれ落ちたその場所で咲きます。気に入るも気に入らないも無いのです。その場で自分の持ち味・特長を発揮して、黄色の花は黄色の花らしく、赤い花は赤い花らしく、青い花は青い花らしく輝いてその存在を全うしていきます。それがなかなか出来づらい状況の時は、十分根を張り養分を吸収して、しっかり時節到来に備え、時来りならば一気に咲き誇りなさいとシスター渡辺は言っているのです。
私達は、親である仏さまからこれ以上無い財産であるいのちをいただき、とても愛でられてこの世に生れ、常に見守られ、しっかり生きろよと励まされています。
ですから「何があっても、それこそ死んでも安心!なぜなら全ては仏さまの掌の中だから」そんな思いで元気一杯に日々素敵な花を咲かせていただけたらと思います。