大いなるさわぎが 大いなる幸となるなり(四条金吾殿御返事)
新年明けましてお目出とうございます、令和八年の新春にあたり十方有縁の皆様のご平安をお祈り申し上げます。
令和八年正月
建治三年(1277)七月、身延からのお手紙であります。このお手紙は先号でご紹介申し上げました「頼基陳状」と一体の御文であります。四条金吾殿が宗論の席に出たことで主君江馬氏より〝法華経を捨てる起請文を書け、書かなければ所領は没収する〟と告げられ、この事を大聖人に報告、「たとえ所領を没収されても起請文は書かない」と発言、大聖人は即「陳情」をお書きになられ、富木氏他に浄書、提出しなさいと伝えられましたが、江馬氏が急な病で倒れ、金吾殿がよび出され治療を行った事で回復、陳情は出さずにすんだ事先日でご紹介した通りであります。大聖人が陳情に合わせご教示なされたのが今月の聖語であります。
そこには、鎌倉の人々から「法華宗の四条金吾」とまでうたわれた四条金吾殿が退転するかどうかは、日蓮門下にとって一大事でありました。その時〝たとえ所領を没収されようとも法華経は捨てない〟との金吾殿のご決意は大聖人のみならず内外の人々の心を強く打つことでありました。この時この大難に対して日蓮聖人のご教示が、今月の聖語
「大いなる、さわぎ(災いは)
大きな幸せとなる
源なのである
と大聖人は金吾殿を励まされます。一つ思い出して頂きたい事があります。本誌九月号で大聖人の聖語「南無佛と唱えば、災い来たるも、変じて、幸いとなる」(富木殿へのご教示)をご紹介いたしましたが、はからずも同じご教示であります。
そしてそのご教示通り四条金吾殿が拝受された〝幸い〟があります。先にも申し上げました通り、主君江馬氏突然の病気で、領地没収はとり止め、それどころか先にも前にも増して主君の信頼を得たのでありました。まさしく〝大いなるさわぎが大いなる幸せ〟となったのでありました。尊いことであります。ありがたいことであります。
富木入道殿、四条金吾殿へのご教示日蓮門下一同、我が身にあてて、かみしめ、お題目信仰に精進させていただきたく、新年にあたり深く念じた次第であります。