菅野貫首写真

教主釈尊は一切衆生の父母也 師匠也(頼基陳状)

 建治三年(1277)6月25日身延山でおしためになられた御文で、頼基とは勿論四条金吾頼基の事。法華経、お題目、日蓮聖人の大信者の一人でありますこと、皆様ご承知の通りであります。〝陳状〟とありますが、これは四条金吾殿の立場で主人江馬氏に申し述べるという意味であります。事の起こりは建治三年の春、京都比叡山の学僧と名乗る龍象房が鎌倉に下向し人々に法を説き、多くの信徒を集めておりました。この説法の座で人々から質問を受けるというので、日蓮聖人の弟子三位房が質問、これに対し龍象房は沈黙、その日のうちに逐電。この席に四条金吾殿もおられました。この事が主君江馬光時殿の耳に入り江馬氏は激怒。「今日以降法華経と日蓮房との縁を切るという起請文を差し出せ、出さなければ二か所の所領を没収する」という厳しいものでした。
 相談を受けた日蓮聖人は頼基にかわってしたためられたのが本書であり、それ故の陳状であります。結果から申しますと、この年の九月主君江馬氏が悪疫にかかり、謹慎中の金吾を召し出して治療してもらう事となり陳状は提出されず頼基は所領を安堵され元の通りお仕えする事になります。
 ですが、その内容は頼基の代弁として一人江馬氏のみに与えられたのではなく、私達門下の信者一人一人にお与えになられたのだと拝する内容であります。
日蓮聖人は前段において龍象房の非僧侶の事、諸宗の間違いだらけの事を具に述べられ、今月ご紹介の聖語
「教主釈迦牟尼世尊は、たとえてみれば、この世に生きる全ての人々の父母であり、先生である、この気持ちで法華経に励むが良い」
とお説きになられたあと
「頼基が父子二代にわたって身命を賭して主家に忠誠を尽くした事実を回顧し後生までも主君に随徒し、頼基が成仏したならば必ず主君を救い主君が先に成仏したならば自分を救って頂こうと願って日蓮に従って法華経の信仰を励んでいるのである」
 と結ばれます。
私はこの御文を拝し、日蓮聖人は〝頼基が主君に対された御心〟を私たちは近くの人、お付き合いのある人、全ての人に対し、あなたの成仏を祈っていますと口には出さずに心に念じなさいと呼びかけておられるのだと受け止めております。
 「お釈迦様は私たちの父母、先生」とお示し下さいましたが、それにしても何という有難い、温かい教示でありましょう。私達も四条金吾の信仰心に負けずこの心でお題目の信仰に励みたく願います。


合掌

日彰