菅野貫首写真

南無妙法蓮華経は 一切衆生の盲目をひらける功徳あり(報恩抄)

 今月のご紹介の聖語は、建治二年(1276)7月21日、聖人五十五才身延の地でおしたためになられた御文章であります。この年の3月16日御師匠様の道善御坊が清澄寺でご遷化(せんげ)なされた事を六月に知り(六月命日の説もあります)七月に御師匠様ご報恩の御文章をお書きになられ、六老僧のお一人、日向上人を清澄寺につかわし、道善御坊の墓前で浄顕坊、義城坊とともに拝読なされたのが「報恩抄」、今月の聖語であります。
 ちなみに今年の3月16日、道善御坊七五〇遠忌法要が清澄寺で営まれ、不肖私が目下管長職として住職を務めておりますので、法要の大導師として、大聖人のお気持を心中の深く止め拂(ほつ)をとらせていただきました。
 大聖人は本文で
「お師匠様私は今まで釈尊の本懐である法華経、お題目を弘め、沢山の人々に安らぎを与えてきました。この道に至るまでの学問・修行・求道の道はお師匠様のおかげであり感謝しております、私が一切衆生のために法華経お題目を弘めた功徳は全てお師匠様のお功徳であります」
と述べられ、師恩に感謝なさっておられます。さらに続けて今月ご紹介の聖語で、今度は私達に
『私日蓮は、お釈迦様がご自身亡きあと二千年を過ぎ、人々が教えを信ぜず世の中が乱れる末法万年の人々の為に説かれた法華経・南無妙法蓮華経をお釈迦さまのご遺言の通りに弘めてきた。法華経・南無妙法蓮華経は、この世に生きとし生ける者全ての人々の悩み苦しみ迷いの目を開かせて、大安心の境地に至るお力・お功徳をもっているのである。人々よ、南無妙法蓮華経のお題目を身と体をもってお唱えし、安らぎの境地に至りなさい』
 とよびかけられます。報恩抄は形の上では、恩師道善御坊へのご報恩感謝の心を表した御文でありますが、同じ末法の時代に生きる私達へのご教示でもある事を忘れてはなりません。
 そこで私たちの生活している令和の時代を見ますと、人工知能やスマホが大手を振う〝迷いの時代・盲目の時代〟であります。そこで改めてお考えを頂きたいのは、それらはみな私達人間の幸せを目的として開発されたものであるという事、決して人工知能に操られ人間を苦しめるためのものではないという事、私たちはこの事を心中に深く納め、それらを活用すべきであります。
 そこで、お考え・お心にお留め頂きたいのは、今月ご紹介の聖語「心の目を開く」この事であります、便利さに惑わされ、本来の目的「人類の幸せのためにこそ人工知能、スマホはあるのだ」という事をあらためて思っていただきたいのであります。「心の目を開き人生の幸せを考えなさい」と大聖人は私達に呼びかけておられます。


合掌

日彰