菅野貫首写真

滅するは生ぜんが為 下るは登らんが為なり(御輿振御書)

 文永六年(1269)三月、日蓮聖人四十八才鎌倉においておしたためになられたお手紙の一節であります。同じ年の一月十日比叡山の僧徒が御輿を奉じて強訴、これがもとで叡山の諸堂が焼失したことは歴史が伝えております。日蓮聖人は、ご自身もかつて学ばれた「学問のお山」でありましたから、当時京都に在住しておられた三位房(さんみぼう)にお与えになられたのが本書であります。ただし、三位房のこと、三位房にお与えになられたかどうかについて諸説がありますので、本稿ではふれずにおきます。
 「比叡山の諸堂が焼失したことはかえすかえすも残念なことである。残念ではあるが、なってしまったことをふまえて次に如何になすべきかを考えてゆかなければならない。諸堂が焼失したことを新しい比叡山出発、生まれかわるための準備と心得る。それは例えてみれば、道を下るということは成就という山に登る為の道であると受け止めるべきである。」
このご教示、実は今日に生きる私たちへのご教訓でもあります。
『今あなたが苦悩の底に在るならばそれはこれから先にある安心への道程である。今あなたが家庭、人間関係で悩んでおられるのであれば、それは解決への下り坂で、その先には平安という立派な山への登り坂が待っているとい思い定め、歩み続けられるがよい』
 私の心の友にSさんという男性が居られます。お山の唱題行にご夫妻で参加されています。かれこれ二十年余も昔、Sさんは会社を倒産させ借金に追われ一家心中しようとした時のこと、唱題行で知り合っていた谷中の寺に〝位牌を預って欲しい〟と訪ねられ、本堂でのお経中に私はふとひらめくことがあって今月の聖語を話したのでした。〝今の苦しみの先には必ず楽という光明のあることを信じてお題目をお唱えすると、苦は楽の始りになる。と日蓮聖人はご教示下さっています〟と。Sさんは肩をふるわせて泣いておられました。何言もいわずに毎月お寺に来られ、二人で唱題、三年ほどした時でしょうか、ご夫妻でおいでになられ〝お上人、ようやく借金を返し、独立しましたヨ〟と晴れ晴れとした顔、そしてひと言“実は三年前一家心中しよう、それには父母の位牌が、と思ってお上人の所に伺ったら、苦は楽の始りと教えていただいて、死んだ気で一家が頑張り今日そのお礼参りとお位牌をいただきに来ました〝その時三人でお唱えしたお題目の楽しさ〟、今も鮮明に思い出すことが出来ます。
 平成三十年も十二月、あと少しであります。今年一年、いや今日までの事を振り返り、人生の行きづまり、苦悩をお持ちであられるならば、今月の聖語を自らの心の糧と受け止められ、Sさんのように生きる力とし、新しい年において安心(あんじん)という美しい花を咲かせていただけることを願ってやみません。


合掌

日彰