菅野貫首写真

智慧ありて信心無くんば
是の人 邪見を増長す(顕訪法鈔)

 日蓮聖人は「信」つまり「信じきること」を大切になさっておられます。と申しますより「信じきること」を信仰の基本となさっておられる。と申し上げてよいと思います。信じきるとは目に見えない大きなお力、仏さまのお慈悲、今の私たちの立場で申しますとお祖師さまのお力を信ずるということであります。目に見えない大きなお力を信じていないと「人の目」「人の知」さえ届かなければ何をしてもよい、という「悪心」につながってしまいます。佛教では「人はみな佛さまになれる。佛さまと同じ大安心の境地に至ることが出来る」と説いております。が同時にもう一つ、「人の心の中には地獄界から佛界までの身勝手でおそろしい働きをする心がある」ということも説いております。
 私たちが、目に見えない力を信じていないと(これは自分自身しかわからないことでありますが)、地獄の心や争いの心、欲の心が出てくる。しかも恐ろしいのはそういう人の心には「悪智識、悪智慧」が十分に働くということであります。このことをふまえて今月ご紹介の聖語を拝見しますと「一般的に見て、学問も教養も充分にある人でも、信仰心み仏の大きなお力を信じきる心、大きなお力を恐れる心がなければ、この人は自分だけが正しいと他の人を見下し、自分勝手な行動をするようになる。加えて人に知られなければ何をしてもよいという悪心にとらわれる事となる。
 だから、この世には目には見えなくとも、耳に聞こえなくとも、佛さまはちゃんと見ておられる、守って下さっておられるのだということを忘れてはならないのである」
 今月の聖語を私はこのように拝読しております。ちなみにこの顕訪法鈔は日蓮聖人四十一才、伊豆の伊東でおしたためになられた御書でご真蹟は身延山に格護されております。実はこの御書で教・機・時・国・流布の前後(解説は次回に予定しております)という大事なことをお述べになられるご予定だったようですが、教えのみで終りとなっておりますことをあえてご紹介します。
 さて、昨今目に見えない力を信じていないのでは、と思われる方多くなっていると思いませんか。そういう方にあえて申し上げます。因果って本当にあるのですと。今の自分はそれでよくても子供や孫のことは考えないのでしょうか、
「そのお姿は眼に見えなくとも、そのお声は耳に聞こえなくともみ佛はお在します」
 智識豊かな現代人に贈る言葉であります。


合掌

日彰