日蓮大聖人御報恩
第七四四遠忌「御会式」
日蓮大聖人第七四四遠忌報恩御会式が10月11日(土)から13日(月)の三日間にわたり営まれ、菅野日彰貫首大導師のもと、大法要が厳修されました。日蓮聖人御入滅お逮夜にあたる十二日夜には万灯練供養が行われ、約九十講中が池上の街から大堂までを練り歩きました。お囃子を響かせ、纏を振る勇壮な姿に、沿道の参詣者からは大きな喝采が送られていました。
○11日(土)
午前11時より大堂において、お会式法要第一座「歴代先師聖人並びに池上法類・池上護山会先師報恩法要」が営まれ、回忌にあたる本門寺歴代聖人と、昨年のお会式以降に遷化された池上法類の先師上人に回向が捧げられました。
午後12時30分からは、江戸川区要法寺住職・小山内功静上人による特別法話「情存妙法故」が大堂下大広間で行われ、日蓮聖人の御遺文に見る信仰のあり方について語られました。
午後2時からは第二座「納経十種供養式法要」が営まれ、本門寺写経会会員が出仕しました。雨天のため、本殿から大堂まで屋内を練り歩き、一年をかけて浄書された写経を奉納しました。法要中には写経とともに、十種の供養(華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・幡蓋・衣服・伎楽・合掌)が日蓮聖人のもとに捧げられました。
○12日(日)
午前10時からは「宗祖御更衣法要」が営まれ、法要中、大堂のお祖師様のお衣が冬衣へとお召し替えされました。
法要に先立ち、毎年お召衣(羽二重の白衣)を奉納する武相御召講が池上中道院にて法味を捧げ、中道院から大堂まで行列を組み、お召衣を献上しました。また、本門寺檀信徒有志により冬物の紫衣と七条袈裟が奉納されました。これらの紫衣と七条袈裟は、菅野貫首の発願により三年ごとに新調され、奉納主には日蓮聖人のお衣で仕立てられた経本入れが下賜されます。
午後12時30分から、大磯延台寺住職・中島源吾上人による特別法話「この国のゆくえと日蓮聖人のおしえ」が大堂下大広間で行われ、激動する政治情勢に対し、日蓮聖人の御教えに照らして考えることの大切さが説かれました。
午後2時からは「宗祖報恩御逮夜法要」が営まれ、日蓮聖人御入滅前夜の御往生の御姿を偲びました。
法要後は13日早朝に至るまで各所で報恩の読経が響き、御廟所では献灯供養のもと、夜を徹して読経が行われました。大堂では唱題行が続き、多くの参拝者が太鼓を打ち鳴らしてお題目を唱えていました。また、池上の街には万灯が連なり、約二十万人の参詣者で大いに賑わいました。
○13日(月)
穏やかな気候のもと、宗祖日蓮大聖人御入滅の聖日・13日の早朝を迎えました。午前7時より静岡県圓恵寺住職・塚本智秀上人の特別説教が厳修され、朝の光が差し込む大堂において、宗祖御一代の御生涯が荘厳に説かれました。続いて、菅野貫首大導師のもと「宗祖臨滅度時法要」が営まれ、本門寺に縁深い各聖が出仕参列されました。
日蓮大聖人が比叡山で学ばれていた折、共に修学された六老僧第一位・日昭聖人が、宗祖御入滅を池上山内に知らせるために打ち鳴らしたと伝わる「臨滅度時の鐘」の故事にならい、御入滅の時刻である辰の上刻(現在の午前8時頃)に、菅野貫首が厳かに鐘を打ち鳴らされました。大堂内は水を打ったように静まり返り、参列者一同が頭を垂れて、宗祖が法華経と題目を弘められた御生涯を深く偲びました。
法要後は参列者全員で御廟所に参拝し、穏やかな気候の中で読経唱題を捧げました。
午後2時からは、菅野貫首大導師のもと、本門寺山務員総出仕により宗祖報恩法要が営まれ、本門寺で奉職する山務員が一堂に会して報恩謝徳を捧げ、お会式の円満成就を奉告しました。
五重塔
放水銃が完成
もうひとつの御会式
微妙庵御会式
日蓮聖人のいぶきを感じる
ご霊宝お風入れ式
10月26日(日)午前10時より本門寺霊宝殿にてご霊宝お風入れ式が営まれ、木内隆志執事長導師のもと日蓮聖人御真筆の御本尊・御真蹟・御遺物に報恩の読経が捧げられました。
参拝者はご霊宝を間近で拝見し、日蓮聖人ご在世の頃に思いを馳せていました。
ご苦労様でした
10月の団体参拝
- 4日 石川県 経王寺 7名
- 9日 日蓮宗宗務院 50名
- 11日 山梨県 宗林寺 11名
- お会式団体参拝(12日) 佐賀県島ノ江眞澄様1名/千葉県妙福寺8名/長崎県妙福寺14名/茨城県星宮寺12名/三重県松寿寺8名/静岡県圓恵寺10名/東京都三尊教会15名/千葉県長福寺2名/神奈川県八宏精舎10名/埼玉県本法寺9名/東京都妙光寺8名/東京都妙福寺7名/千葉県成顕寺20名/長崎県妙照寺17名/長崎県長遠寺8名
- 25日 立正中高父母会師親会 80名
- 26日 宮城県 妙見寺 17名/立正安国会 17名


